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英語力ゼロからのスタート!水泳大国オーストラリアで正社員水泳コーチとして働く日本人、草深さんのマル秘仕事獲得術

こんにちは!オーストラリアで競技チアリーダー兼バイリンガルアスリートとして活動する笠原園花です。

 

今回、同じくオーストラリアのメルボルンで正社員水泳コーチとして勤務する草深亜紅(くさふかあこ)さんにインタビューをしてきました!水泳大国のオーストラリアでコーチになった経緯は?どうやって正社員の仕事を獲得したの?皆さんが気になることをお伝えします。

 

水泳全国3位を獲得した草深さんの学生時代

全国3位を獲得した草深さん

1985年兵庫県尼崎市生まれ。3歳から水泳を始めた草深さんはその魅力にはまり、立命館大学卒業までの19年間、水泳選手として活躍。幼少期からオリンピック出場を目指してひたすら練習の日々。

ジュニアオリンピックカップでは200メートル個人メドレーで全国3位、インターハイでは同種目で全国13位、国体には県代表出場、さらにオリンピック代表選考会でもある日本選手権にも出場した。

そんな輝かしい成績を残してきた草深さんだが、大学3年生になると、周りと自分の実力を比較してみたときに「オリンピック出場は厳しい」と感じたそう。オリンピック出場を目指して長年選手を続けてきただけに、そう思った瞬間に選手続行の気持ちが切れ、引退を決断したという。

 

水泳から決別した大学卒業後

 

立命館大学時代

スポーツ推薦で立命館大学に入学したということもあり、卒業までは選手を続行。しかし、卒業後に選手として活動する意思はすでになかった。

卒業後は不動産会社で営業職を経験後、大学時代に取得した教員免許を元に4年間、高校での教師を務めた。

「社会人になってから水泳がない生活をしてみて、水泳以外何もできない自分に気づきました。」と草深さん。

しかし、4年間務めた高校教員も「とても楽しかったが、世界を見たこともない視野の狭い自分が高校生を教えることが生徒たちに申し訳ない」と思い、退職。世界を自分の目で見、視野を広げるためにオーストラリアへの渡航を決意した。

 

所持金10万円でのオーストラリア渡航

2014年4月、10万円のみを片手に握りしめ、オーストラリアへ渡航した。当時、語学はもちろん、仕事の見つけ方すらも分からなかった。

最初にシドニーに渡ったときに、道端にいた日本人らしき人に声をかけ「仕事を探しているのですが、何か情報ありませんか?」と尋ねたという。たまたま声をかけた方が回転寿司店のマネージャー。すぐに職にありつけた。

2か月後、ゴールドコーストという別の都市へ向かった。ここでもすぐに職にありつけるだろうと高をくくっていたが大間違いだった。一向に仕事が見つからない。所持金10万円が底をつき、野宿した日もあったという。

実は日本を出るとき、草深さんは周囲に「水泳コーチとしての勉強をするために水泳大国オーストラリアに行ってくる」と宣言していた。宣言してしまった手前、やらないわけにはいかない。

お金も底をつき、英語力にも自信が全くなかったが、ここから快進撃が始まる―。

 

英語力を劇的に向上させた秘訣

英語に自信のなかった草深さんはまず、日本食レストランでの皿洗いのアルバイトから始めた。1年間、低賃金ではあったが、皿洗いを続けた。

英語力を向上させるために、ローカルのレストランへの転職を試みた。履歴書には「世界一の皿洗い」と記載し、見事採用。しかし、同僚から「Spinach(ほうれん草)を持ってきて!」と言われたときにSpinachが何を指しているのかがわからず、同僚に呆れられたのが悔しかった。それから、冷蔵庫の中の食材の名前やレストランで使う英語を全て覚えた。

英語力が急激に向上したのが自分でもわかった。

それからは全てが軌道に乗り始めた。

 

オーストラリアでの草深さんの水泳コーチ仕事獲得術

オーストラリアでは資格取得が重要

渡豪後、オーストラリアが資格大国であることがわかった。水泳のコーチになるためには指導者としてのオーストラリア独自の資格を取得しなければならない。

さらに、ここは水泳大国オーストラリア。オリンピックを経験した選手が指導者としてゴロゴロといる世界だった。「日本全国3位」という輝かしい成績すら意味のないものだった。

英語力では劣るかもしれないが、指導するという熱い気持ちだけは負ける自信がない。資格保持で指導員としての実力が認められるならばと思い、水泳に関する資格は全て取得した

月収ゼロ円での水泳コーチ

コーチを務めるメルボルンの水泳クラブの生徒たちと草深さん

 

2018年11月、さらに別の都市メルボルンへ移転。ここではローカルの水泳クラブに、ボランティアでの水泳コーチを申し出た。水泳指導には自信があったため、最初はボランティアから始めヘッドコーチに付き添い、信頼を得て仕事量を増やし正社員までたどり着こうという目論見だったという。

最初は1週間に2時間のみ。ボランティアでの水泳コーチを3か月続けた。ヘッドコーチの体調が悪い時に、代わりにコーチをしてくれと依頼されるなど頼ってくれる機会が増えた。

さらに、保護者の方々から、娘を草深さんのクラスに移行させたいという依頼も増えてきた。

最初は2時間のみだったシフトが4時間、そして6時間になり…水泳クラブで欠かせない存在となった。

 

水泳コーチとしての正社員採用

水泳クラブの正社員となった草深さんと教え子たち

 

そして2019年1月、ボランティアから始めた水泳クラブ、YMCA NORTHCOTE AQUATICCENTREから正社員として採用されることになった。

朝5時から9時半までコーチをし、その後は水泳クラブでお客様の電話対応からお金のやり取り、オフィス作業に新人指導、生徒や保護者のケアなど全般業務を行う。夕方からはまたコーチ業に戻る。月収も安定した。

「オーストラリアに来てから4年もかかってしまいましたが、やっと自分が挑戦したかったことができています。渡航当初は英語も分からない状態でしたが、今では現地の子供たちを教えるのがとても楽しいです」と笑顔で語る草深さん。

 

草深さんの今後の目標

「実はまだ模索中」。今後も水泳コーチとして生きていくのかについてはまだ自分の中で答えは出ていない。

「明確な目標が今はまだありませんが、探しながら生きていくのが人生かなと。探しているこの過程が楽しいので、それでいいんです」と意気揚々と語る草深さんの力強い目が印象的だ。

 

シドニーの道で見知らぬ日本人に声を掛け仕事獲得、履歴書に「世界一の皿洗い」と記載して仕事獲得、月収ゼロ円で水泳コーチを始め、信頼を得て正社員採用―草深さんのオーストラリアでの仕事獲得術をインタビューで聞き、そのバイタリティと行動力には度肝を抜かされた。今後も草深さんのオーストラリアでの活躍が楽しみである。

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