「優勝にこだわる」海外のマラソンレースで優勝を目指す元箱根ランナー 秋澤啓尚(あきざわひろなお)選手の新たな挑戦
こんにちは!現在オーストラリア・メルボルンで競技チアリーディングの選手として世界一を目指している笠原園花です。
今回は、元箱根ランナーの秋澤選手秋澤選手にお話を伺いました。大学卒業後、実業団を辞めてまでマラソンに挑む理由とは?今後の目標は?強い意志で目標にまっしぐらに進む秋澤選手に迫りました。
秋澤選手と陸上の出会い
1995年神奈川県横須賀市生まれ。小学校の頃、兄の影響で地元のリトルチームで陸上を始めた。この時すでに、間近でみた箱根駅伝に魅了され、「僕は将来箱根駅伝で走るんだ」と決意したという。その後「箱根駅伝」を夢見て、進学した中学校でも長距離競技を続けた。弱小チームではあったが、箱根駅伝という夢を忘れることはなかった。
その後、地元神奈川県の駅伝強豪校である藤沢翔陵高校に進学。さすが県内の強豪校とだけあって、県内では優勝。しかし、高校2年次と3年次に出場した全国高校駅伝大会では、チームとしては20位。個人では区間11位という結果が得られたが、全国のレベルには届くにはまだまだだと痛感した。
箱根駅伝の強豪大学へ進学
「箱根駅伝に絶対出る。」そのためには箱根駅伝の強豪校からスカウトされなければいけないとの一心だった。さらに、地元に恩返ししたいとの気持ちで、地元の神奈川県内の大学のメンバーとして箱根駅伝を走りたい気持ちもあった。
高校時代の監督とのコネクションもあり、地元神奈川県の神奈川大学からスカウトされた。素直に嬉しかった。
しかし、箱根駅伝までの道のりはそう甘いものではなかった。
結果を出せなかった3年間半
大学1年次から3年次まで、大学三大駅伝といわれる出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝のいずれにも出場する機会が与えられなかった。
また、貧血に悩まされる日々が続いた。
「もしかしたらこのまま箱根駅伝に出られないまま大学生活を終えてしまうかもしれない」という危機感が募っていくばかりだった。
思い切って練習を自分流に
「朝練は必須」「朝と午後の2部練習が当たり前」「毎日練習」……このような練習スタイルがもはや日本の陸上界の文化にすらなっていると危惧し、本当のこの練習方法で今後もやっていくべきなのかと疑問をもつようになった。また、もともと貧血の傾向があったため、監督から指示された練習方法が自分の体調に合わず、疲労感が残ることが多かった。「このままでは勝てない。箱根駅伝に間に合わない。」そう思い、大学最後の夏合宿で思い切って監督に意見をした。
「自分たちでメニューを組ませてほしい」
お前たちを信じると一言添え、監督から自分たちが良しとするメニューでの練習を行うことを許可された。
朝練を行わず、午後練習のみにしたり、一人での練習時間を増やすなど、自分の体調に合わせた練習メニューに取り組んだ。
見えてきた結果
それぞれ自分に合った練習メニューをチームとして取り組んだことでようやく個人としても結果が見えてきた。そして、神奈川大学としては、箱根駅伝の2ヶ月前に開催される全日本大学駅伝で20年ぶりの優勝を果たすことができた。
強豪校である東海大学や青山学院大学をも超える結果となり、監督もますます信頼をおいてくれるようになった。
箱根駅伝で走るという夢
小学校の頃から抱いていた、「箱根駅伝で走る」という夢。結果を出せなかった3年間半を経て、ようやくその夢を実現させる時がきた。箱根駅伝の数ヶ月前から調子が非常に良かった。自信しかなかった。
「8区はお前にまかせる。」そう監督からいわれて走った夢の箱根駅伝。実は、8区は出身高校に近い藤沢駅付近。コースもよく知っていたし、多くの知り合いが沿道で応援してくれた。
「こんなに応援してもらえるなんて幸せ者」と素直に嬉しく、苦しい走りが一気に楽しくなった。
結果は、区間6位。15年も憧れ続けた箱根駅伝で、納得のいく走りができた。
マラソンへの競技転向
小学校からの夢をついに果たしてしまったが故、箱根駅伝後は目標を見失ってしまい、「もう走らなくていいや」と完全に燃え尽きてしまった。実業団にもスカウトされていたが、断ろうかとも思っていた。
目標を見失っていた頃、たまたま大学同期のチームメートが走る3月の東京マラソンの応援に向かった。そこでみた東京マラソンの盛り上がりや箱根駅伝以上の歓声に魅了され、「ここで走りたい」と強く思うことになった。
その後、スカウトされた実業団に一度は入社するも、半年後に退社。誰かの命令で動くのではなく、自分で考えて、自分で練習したいという気持ちもあり、本格的にマラソンへの転向を決意した。
海外のレースにもどんどん出場を
日本の選手で海外のレースに出場する選手はまだまだ少ない。渡航費や宿泊費などの滞在費は自己負担になるという理由もあるが、そもそも海外に視野を広げない選手が多い。しかし、海外の方がレースの数は多いし、勝てば賞金も出る。雰囲気もお祭りのようで走っていて楽しい。
まずは自分が海外のレースに出場し結果を残すことで、海外のレースの楽しさや海外にもどんどん進出していくべきだと日本の選手に伝えたい。
秋澤選手の強いこだわり
「目標は決めていない。」箱根駅伝に出場するという目標を決めてしまったが故、その目標を達成した瞬間燃え尽きてしまった。その経験を生かし、明確な目標を決めることをやめた。現在は一つ一つの大会で勝つことに集中するようにしている。
また、タイムにはこだわらない。自己新記録は自己満足にすぎないと考えている。その代わり、レースで「優勝」することだけを考えている。いくら自己新記録をだせても、それが優勝でなければ注目をされずに終わってしまうと考えるからだ。
まとめ
箱根ランナーからマラソンランナーへ競技転向をした秋澤選手。インタビューの中では、秋澤選手の冷静さ、かつ、物事を客観的にみる姿勢がうかがえた。冷静さの中にも情熱をもつ秋澤選手のマラソン選手としての活躍は今後も目を離せない。
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