海外で活躍するストライカー、佐々木悠斗(ささきゆうと)選手にインタビュー!
こんにちは、サッカー選手の阿部速秀です。今回は同じサッカー選手の佐々木悠斗選手に話を伺いました。
海外での経験から来る強い自信が話をしていると伝わってきました。きっと今後ビッグな選手になってくれるだろうなと感じました!そんな佐々木選手にインタビューしました!
サッカーとの出会い
小学1年生の時、友達と遊びでサッカーを楽しみ、その延長で地元クラブに入団。サッカーを皆んなで楽しむという感覚で入団したチームでは、4年生の宮城県の新人戦で優勝するなど県内では強豪に属するチームで育った。
同世代のトップ、世界のトップを体感
そして中学に上がる時にクラブチームのACアズーリのセレクションに見事合格してACアズーリ入団。
中学3年時にはクラブユースという全国に繋がる大きな大会の東北大会を2位で通過し、全国大会へ出場。
そこで現在日本代表選手達のレベルを知り、同世代ではもっともっと上の選手がいる事を肌で痛感した。
更にイタリア遠征の際にセリエAのユベントスの下部組織チームとの練習試合では1つ下の学年に負け、世界とのレベルの差も知った。戦うメンタリティ、一発で決めてくる勝負強さの違いを感じた。
日本で、世界で、上のレベルを肌で感じ、サッカーに対する熱が更に増した3年間だった。
サッカー人生で一番悔しかった冬
高校は宮城県の強豪、宮城県工業高校に進学。
1年生の頃からトップチームに絡み、2年生から徐々に試合に絡み始め、3年生の時には主力でチームを牽引。
チームは東北1部リーグに所属し、青森山田やベガルタ仙台などの強豪チームがいる中で奮闘し、着々と力を付けていった。しかし、1番最後の1番大事な選手権の時に1度も負けた事のないチームに負けていまい、高校サッカーを終えてしまう。
この負けと引き換えに、プロサッカー選手になるという夢に対して真剣に向き合うようになった。
海外と自信
大学時は千葉にある中央学院大学へ進学。
大学ではなかなか出場機会に恵まれずに、サッカーを離れてしまう時期もあった。しかし、自分の夢と高校時代の敗戦を思い出し、3年時から気持ちを入れ替えサッカーに打ち込んだ。自分への自信と評価に対する葛藤に迷いながらも突き進み、最後の関東リーグ入れ替え戦に間に合いトップチームへ。
冷めないサッカーへの思いと自分の技量、イタリア遠征での経験から海外への挑戦を決意した。
海外の難しさを知った4カ国
1カ国目、モンテグロ
ここでは日本人で11人集め、チームを作り、1部との練習試合を行う形のトライアウトだった。試合を重ねる中、1部のチームに声がかかり、1部に決まる予定が足首を重度の捻挫してしまい、2部で前期2位のチームと契約。
しかし12試合で20得点決めてるチームのエースが同じポジションにいた。その選手に勝てず、途中から出る試合が多くシーズン終了時には同じ2部の違うチームへのレンタルを言い渡された。そこでは試合には出られるも給料未払いが1年続き、抗議をするももらえなかった。1年半のモンテネグロでは苦い思い出が多かったが、ヨーロッパでプレーする事でわかった球際の強さ、カードの出ないファールが上手さ、フィジカル面での強さを学び自分のサッカーでの蓄えとした。
2カ国目、スロベニア
モンテネグロでの契約が終わり、モンテネグロ1部の練習参加ができずにいた。そんな中知り合いからの紹介でスロベニア2部と契約に成功した。モンテネグロとスロベニアの違いは技術面でスロベニアの方がレベル高かった。ヨーロッパを2カ国渡り、国によって特色が違うことに気づき自分に合っている国を見つけるのも生き抜くすべだと学んだ。
3カ国目、カンボジア
カンボジアではまさかのアクシデントに見舞われる。開幕3試合目にして半月板損傷、2019.5月の半ばに日本に帰国した。その後決死のリハビリを続け、8月に4カ国目のオマーンへ挑戦するが、出国直前で選手枠がないと告げられる。なんとか現地でアピールするも届かず、現在は来年セルビア1部リーグへの練習参加に向けて体を作り上げている。
今後の目標
ヨーロッパリーグに出場し、チャンピオンズリーグに出場する事。
そしてゆくゆくは日本代表として日の丸を背負うことが目標。
同世代のトップを、世界のトップを経験したからこその夢。必ず叶えるという強い思いでこの後のサッカー人生を送る。
まとめ
熱い想いの佐々木選手の夢が叶う事を願います。そして自分も同じポジションの佐々木選手に負けないように頑張ります!共に頑張りましょう!
佐々木悠斗(ささきゆうと)選手を応援しよう!
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