「人力車ボクサー」としてチャンピオンを目指す及川唯選手にインタビュー!
こんにちは!現在オーストラリア・メルボルンで競技チアリーディング選手として世界一を目指している笠原園花です。
さて、今回は、高校卒業後からボクシングの道に進んだ及川選手にインタビューしました。
現在、東京・浅草で人力車の俥夫としても大活躍する及川選手は「人力車ボクサー」としても活動を広げているといいます。
そもそも「人力車ボクサー」とは?人力車とボクシングにどのような関連があるの?などの疑問にお答えします。
及川選手の自己紹介
1993年、北海道北広島市生まれ。3人兄弟の末っ子として生まれた及川選手は、幼少期から2人の兄の背中をみながら育った。「兄貴達がやっていることをやりたい!」という気持ちが幼少期から強く、兄達の影響で小学校5年生の時に地元のクラブで体操競技をはじめた。
器械体操に力を注いだ小中高時代
2人の兄の影響で小学5年生の時に地元の体操クラブに加入した。中学でも同クラブチームで体操競技は続け、「体操の強い高校に行きたい」と志願した札幌啓成高校に見事合格。
1年次から3年次までインターハイの北海道代表選手に選ばれるなど、高校3年間で輝かしい成績を収めた。
8年間の体操人生に悔いが残ることはなく、高校3年次の8月のインターハイをもって体操競技から引退。高校卒業までは大学受験に向けて勉学に勤しんだ。
ボクシングとの出会い
高校3年次の12月には受験を終え、春から北海道を出て東京の大学に進学することが決まった。
受験を終えて高校卒業までの期間に、「兄がやっていてカッコ良かったから」と、またもや兄の影響でボクシングを始めることになった。
「初日から楽しく、はまってしまった」
個人競技である体操とは異なり、ボクシングは相手ありきの競技。相手がいる方が闘争心が燃え、体操競技よりも自分に向いているのではないかと感じた。
デビュー戦で優勝
大学入学まであと少しまで迫った2011年3月、東北大震災が発生。その影響で、進学が決まっていた東京の大学の入学式が1カ月遅れることが決定した。
たまたま、この1ヶ月の間に開催された「北海道選手権 2部」というボクシングの大会にボクシングジムから出場を勧められた。
規模は小さい大会ではあったが、見事優勝。この成功体験が、ボクシングの世界へとのめり込むきっかけになった。
負けた悔しさからプロへの転向
大学入学後は神奈川県川崎市のボクシングジムに所属した。アマチュアボクサーとして日々練習する日々だったが、大学4年次の国体の予選で決勝まで進出するも、決勝戦で敗退。後一歩のところで全国大会を逃した。
「悔しかった」
それでも上を目指す気持ちは消えることがなかった。
「悔しさをバネにしてもっと上を目指す」と、プロライセンスを取得しプロボクサーに転向した。
人力車との出会い
プロボクサーになる前のアマチュアだった21歳の頃、ふと見上げた電車の広告に「人力車」の文字があり、「これだ!」と思い、すぐに面接を受けた。これが人力車との最初の出会いだった。
大学入学後は「将来はプロボクサーになる」と決意を固めていたが、ボクシングだけでは生計を立てるのは難しいことを理解していたため、お金を貯めるためにもアルバイトを探していたところだった。
早速、面接後に研修を受講。人力車の俥夫になるための研修は非常に辛く、最後の卒業検定まで残る志願者は全体の3割程度にしかならない。
走行練習はもとより、浅草ガイドのための勉強やお客さまを獲得するための営業スキル、お客さまとのコミュニケーションスキルなどを磨く研修で、個人個人の工夫や勉強量が問われる。
「研修は辛かったが、自分がやろうと一度決めたことだったからやめるという選択肢はなかった。」
そんな強い意志を持ち、卒業検定に合格。晴れて人力車の俥夫とボクサーの2足のわらじを履くこととなった。
人力車とボクシングの共通点
「人力車とボクシング」。一見関連性が薄いようにも見られるが、1つ大きな共通点がある。それが、「人力車もボクシングもエンターテイメント」であること。
浅草をガイドしながらお客様を楽しませる人力車俥夫とリングの上で戦うことでお客様を楽しませるボクシング。人力車もボクシングも、お客様を楽しませるという点で通じるものがあり、人力車とボクシングの両方を通じて自分自身が学ぶ事、気づくことが多い。
また、精神的な面でも人力車とボクシングの両方で通じるものがある。人力車は、雨でも雪でも、冬の寒い日でも年中無休だ。その悪天候下でも工夫してお客様を獲得し、自分で売り上げをあげるメンタル力が問われる。
人力車で培ったこの精神力が、ボクシングにも生きている。
人力車俥夫として、ボクサーとして
人力車俥夫とボクサーの2足のわらじを履くことによる相乗効果が多くある。
俥夫の中には、芸人や俳優、プロレスラーなど、人力車の傍ら他の夢を持って活動している同僚が多くいる。そのような同僚達と活動を応援しあうことがモチベーションにも繋がっている。
また、お客様との会話の中での気づきも多い。浅草に訪れ人力車を利用するお客様のバックグラウンドは様々だ。自分とは異なった経験を積んでいるお客様との会話からの新しい気づきが多く、ボクシングにも活かすことができる。
さらに、人力車走行中のお客様との会話で、自身がボクサーであることを伝えたところ、試合のチケットを購入して実際に見にきてくれたこともある。
人力車で出会った人たちとの何気ない会話や同僚との関わりが、ボクシングにも活きており、いい化学反応を起こしている。
今後の目標
人力車の俥夫としても活躍しながらも、2020年までを目処に、ボクシングの日本ランキングに名前を載せることが現在の大きな目標だ。ランキングには1位から12位までの12名しか名を載せることができないが、もしランキングに入ると、タイトルマッチに招待される確率が大きくあがる。
チャンピオンとの試合が実現する可能性も高くなり、チャンピオンベルトを獲得する可能性も出てくる。
「ゆくゆくは、チャンピオンベルトを獲得したいし、獲得する自信もある。」
「人力車ボクサー」として、いつかチャンピオンロードを歩くのが夢だ。
もっと先の目標はーー。
「ボクシングに集中するために、あまりにも先のことは考えないようにしている。」
減量のために飲み会を断るのは日常茶飯事、旅行にも行けない。ボクシングのために我慢していることはたくさんある。それでも今は「今」に集中し目標に突き進むしかない。
まとめ
人力車の経験があるからこそボクシングがあり、ボクシングの経験があるからこそ人力車がある。今や、及川選手にとってどちらも欠かせない存在となった人力車とボクシング。さらには、食事に関しても栄養学の勉強をしたりと、様々な面からボクシングを研究している及川選手が「人力車ボクサー」としてチャンピオンベルトを獲得する日もそう遠くはないだろう。
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