皆さん、こんにちは!競技チアリーディングの選手兼バイリンガルアスリートとしてオーストラリアで活動中の笠原園花です。
日本のみならず世界中で大人気のスポーツ、サッカー。大人気競技だけあって、プロフェッショナル選手として活躍できるのはごく一部。特に日本の最大リーグであるJリーグの1部チームに所属するのは非常に狭き門。そんな中、海外でプレーをする道を選んだ選手がいる。それが、現在オーストラリアのメルボルンにてプロサッカー選手として活躍する関谷祐(せきやたすく)選手だ。メルボルンといえば、本田圭佑選手がメルボルンに拠点を置くメルボルンビクトリーというチームに移籍したというニュースが新しい。そのチームとも対戦したことがあるという関谷選手、その面白いキャリア構築に迫った。
関谷選手の学生時代
1992年11月生まれ、神奈川県の厚木市出身。幼少時代からサッカーを習い始め、高校は秦野高校に進学。大学は青山学院大学にスポーツ推薦を利用して進学し、体育会サッカー部に籍を置き、大学4年間プレーをした。
就職活動をしないという選択肢
「プロのサッカー選手になる」という幼少期からの夢は大学生になっても消えることはなかった。大学3年次、徐々に大学の友人が就職活動の準備を始める頃、幼少期からの夢を叶えるため「就職活動はしない」という選択肢を取った。不安が大きかった。「20人の同期部員のうち、就職活動をしないと決めていたのが3人。部室で皆で集まると部員同士の会話が就職活動の話ばかりで、焦りや不安は少なからずありました」と関谷選手。
大学の友人やサッカー部員たちの就職内定先が決まり始める大学4年次の4月から6月にかけては特にその焦りが大きくなった。
Jリーグ各チームから学生選手に対してオファーが出始めるのが大学4年次の夏。それも、まずは学生の中のトップ選手達から声が掛けられ始める。声がかからなかった選手達は大学4年次の1月にやっと各Jリーグチームの練習への参加や公募トライアウトに応募することができるようになる。
大学の友人たちや部活動の同期達が卒業式の準備を始める頃になってやっとトライアウト。それも、チームに入れる保証はない。それでも日本でプロサッカー選手になるという思いは揺るがなかった。
甘くない現実とプライド
現実はそう甘くはなかった。大学4年次の年の瀬にJリーグ3部のチームから内定をもらったが、給料が出ない条件だった。同じ頃、月給数万円と家賃が支給される条件で、地域リーグからも声がかかった。
Jリーグの3部チームになると給料がでない選手もいるというのは知っていった。しかし、いざ自分がその立場に置かれると、その現実に後ずさりしてしまった。アルバイトで生計を立てながらサッカーの練習も続けることに対して全く自信がなかった。また、目指していたのはJリーグ。地域リーグで妥協したくなかった。
さらに年が明けたころ、さらに別のJリーグ3部チームからチーム練習に参加してほしいと熱心な声がかかった。給料もわずかながら出る条件。監督の熱心なチーム招集から、ほぼチーム決定のような雰囲気を感じ、意気揚々にチーム練習に参加したが、選手として選ばれることはなかった。
「神奈川の実家に帰ってから2日間は自宅から出ることができませんでした。」悔しかった。人生でこんなにもどん底を味わったことはなかった。
コーチからの思いがけない提案
「オーストラリアでプレーしない?」
どん底にいた関谷選手にそう声をかけたのは、大学時代にアルバイトしていたサッカークラブのコーチだった。海外でのプレーを考えたことはなかった。そもそも海外自体に興味を持ったこともない。英語は話せない。そんな関谷選手にとっては、海外でプレーするというのは思いも掛けない提案だった。
プロのサッカー選手になれなかったら選手を諦め就職活動をすると決めていた。日本での選手の道を諦めるくらいなら、未知の世界ではあるが、海外でプレーするということも悪くはないと心境に変化が表れ始めた。
少なくとも海外に身を置くことで、日本に帰国後でもセカンドキャリアに生かせる語学力や経歴を得ることができるのではないか――そんな思いもあった。
大学を卒業する頃、やっと関谷選手の中で「オーストラリアでプレーする」という気持ちが固まった。
サッカー後進国カンボジアでのまさかの挫折
オーストラリアではチームのトライアウトが11月から1月頃にかけて行われる。オーストラリアでプレーすると気持ちを固めたときにはもう遅かった。
しかし、ひょんなきっかけで、「カンボジアのチームから半年契約で声がかかっている。オーストラリアでチーム探しをする前に、英語を習得したり、海外生活に慣れるという意味でカンボジアでのプレーをするのもいいかもしれない。」という声がかかった。
サッカー後進国カンボジア。サッカーの技術があるわけでもなく、十分な施設があるわけでもない。「半年だけなら」と安易な気持ちでカンボジアに向かった。
しかし、チーム練習に参加して1週間で首を切られた。技術力では圧倒的な強さであったはずだ。「カンボジアでのプレーに乗り気ではないという態度が出てしまっていたのが原因でした。」
この出来事が関谷選手に火をつけた。「生半可な気持ちでチーム探しをしてはいけない。オーストラリアでは必ずチーム契約をしなければと強い気持ちが生まれました。」
それからは、とにかくオーストラリアのチームの情報収集に時間を費やした。日本人初のオーストラリアトップリーグでプロ選手となった方にも自ら連絡を取った。日本から収集できる情報は全て収集し準備万端だった。
オーストラリアでの大活躍
万時を期して大学卒業から7か月後の2016年1月、サッカーで強いチームが集まる大都市シドニーに向かった。これまでの日本、カンボジアでの挫折を経験していた関谷選手は、オーストラリアでは一つ一つのチーム練習を丁寧に行った。
これまでの挫折、悔しさを活力に、なんと渡豪から1日で、州リーグ1部の強豪チームと契約を結ぶことができた。大学卒業から1年を経て、やっと“内定”を獲得した。
渡豪から3年たった頃になると、オーストラリアで一番サッカーが盛んな都市シドニーで、最優秀選手に選ばれた。遂に自分の実力が認められた。素直にうれしかった。
現在のオーストラリアでの生活と収入
現在はメルボルンの州リーグ1部の強豪チームに所属しプレーを続けている関谷選手。日本でのチーム探しを振り返りながら、現在のオーストラリアでの生活をこう語る。「生活できる分のお給料はチームから頂けるので、日本でプレーするよりも資金面では良い状況。さらに、英語環境に身を置きながら様々な価値観を持った外国人達とチームメートとしてプレーできることも大きなメリット。今後日本に帰国してセカンドキャリアを構築する際にも必ずこの海外でのプレー経験が役に立つと思います。」
日本と異なり、練習は試合も含めて週4回と少なめだからこそ、空いた時間にオーストラリアに住む日系の子供たちにサッカーのコーチを教えたりと余暇を満喫している。
就職活動はしない、と大学時代に決意した関谷選手。日本、カンボジアでの挫折を経て、ようやくオーストラリアで掴んだサッカー選手の道。就職活動をせずとも海外でプレーすることで日本で得る以上の資金を得ながら生活できるという一つの選択肢を教えてくれた関谷選手の今後の活躍に期待が高まる。
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