こんにちは!競技チアリーディング選手ことバイリンガルアスリートとして現在オーストラリアに滞在中の笠原園花です。
「セカンドキャリアも見据えた上で、海外でサッカーをプレーする」そんな先見の目を持ちながら、大学卒業後からオーストラリアでサッカー選手として生活する熱い男、それが小長谷勇太(こながやゆうた)選手だ。周りに罵倒されながらも、自分なりの生き方を貫く小長谷選手――有名銀行の内定を蹴ってまで海外でサッカーをプレーするその理由とは?…小長谷選手にインタビューしてみました。
小長谷選手の自己紹介
――小長谷選手、はじめまして!
小長谷選手:こんにちは!はじめまして!
――まずは自己紹介をお願いします。
小長谷選手:はい、静岡県出身の小長谷勇太です。静岡の清水東高校から早稲田大学人間科学部に入学。卒業後オーストラリアに渡航し、現在はオーストラリアのメルボルンでサッカー選手としてプレーをしています。
活躍できなかった大学時代
――早稲田大学出身!優秀!早稲田大学のサッカー部に所属していたということですか?
小長谷選手:そうです。でも、大学時代の公式戦には4年間で一度しか出場することができませんでした(笑)ずっと2軍でした。活躍が全くできなかった4年間でした。
――部員も多そうですし、やはり1軍でプレーするというのは大変だったのでしょうか?
小長谷選手:そうですね。部員が80人いて、その中で1軍に選ばれるのが20人、さらに試合に出られるメンバーは11人。狭き門でした。
――なるほど。4年間1軍でプレーできないとなるとプロサッカー選手への道はかなり厳しいのでは?
小長谷選手:そうです。1軍の選手でもプロになれるのは2名~4名程度。2軍選手に関しては、ほぼ全員が一般企業に就職します。特に早稲田大学のブランドを背負っているので、大学の名に恥じないためにも皆就職活動には真剣に取り組みます。
周りからの罵倒と決意
――そんな中、小長谷選手は海外でサッカー選手という道を選んだということですが、2軍選手が卒業後のキャリアとしてサッカー選手を目指すというのはかなり異例だったのではないでしょうか?
小長谷選手:2軍選手だったのにサッカー選手を目指しますと宣言した時はかなり批判されましたよ(笑)先輩からはもちろん、後輩からも「人生の選択をミスりましたね」と言われたほどでした。
――そのような逆境の中、海外でのサッカー選手をめざしたきっかけは?
小長谷選手:「サッカーに限らず、人生を生きていく上で海外という選択肢もあり。」という母の言葉の影響が大きかったです。そこから、「海外でサッカーでお金を稼ぎたい」「海外で生活することで語学面や異文化とのふれあいを経験しセカンドキャリアの選択肢を広げたい」という思いが強くなり、海外でサッカー選手としてプレーすることを決めました。
――小長谷選手、就職活動もしていたと伺ったのですが…?
小長谷選手:そうなんです。早稲田大学サッカー部というブランドを背負っている以上、就職先は大手企業というのが鉄則でしたから。そのプレッシャーもあり、就職活動は人並みにしました。でも、サッカー選手になりたいという気持ちを抑えながら就職活動をする自分に対して腑に落ちない部分がありました。そこで某銀行の最終面接で本音を言いました。面接官からこの会社が第一志望ですか?と質問され「海外でサッカー選手を目指すか迷っています」と正直に言いました。
――本音を言ったのですね!普通なら嘘でも「第一志望です」と言いますよね。
小長谷選手:はい。でも、無事にその銀行から内定を頂きました。内定を頂いた後、就職を取るか、サッカーを取るか悩みましたが、やはりサッカー選手の夢を諦めきれず、内定を断ることにしました。
――かなり勇気のいる決断だったと思いますが…海外でサッカー選手を目指すということに対して不安はなかったのですか?
小長谷選手:そうですね。大学の先輩から、オーストラリアの日本人サッカー選手の代理人の方を紹介いただき連絡を取りましたが、その方からは「日本でプロになれなかった選手がオーストラリアでプロどころかセミプロになれる確率もほぼゼロ」と言われたこともあり、不安がなかったと言えば嘘になります。現在小長谷選手はセミプロとしての立ち位置。セミプロとは、職業選手でないのにそれに準じた身分・待遇を受けている選手のこと。
――ほぼゼロ…?それでもオーストラリアに渡航したのですか?
小長谷選手:もしプロになれなかったとしても、オーストラリアで日本人以外と接し、日本以外の国に身を置くことで自分の視野を広げられる。さらに語学の上達も目指せる。海外での生活を通して学んだことをセカンドキャリアに生かすことができるとプラスに考え、渡豪を決意しました。
確率ほぼゼロからの快進撃
――それでオーストラリアに渡航した小長谷選手ですが、チームはすぐに決まったのですか?
小長谷選手:渡豪後3か月間で結局チームが決まらず、一旦セカンドビザ(農業などの指定された仕事に3か月従事することで得られる1年間のビザ)を取得するために農場でフルーツ採取の仕事を開始。日本の友人達からは「サッカー選手を目指して渡豪したのに、何であいつはフルーツ採っているんだ?」と笑われました。
――チームが決まらなかったということは、1年間オーストラリアではプレーできず…?
小長谷選手:その覚悟だったのですが、農場で仕事をしている時、シーズンの途中にも関わらずシドニーの州リーグ2部のチームから招集がかかったんです。そのチームがちょうど僕のポジションがすぐに必要だったみたいで…。奇跡でしかないです。
――今年オーストラリアのプレーは3年目ということですが、今はメルボルンに?
小長谷選手:そうです。シドニーの州リーグ2部のチームで5か月間プレーした後、州リーグ1部のチームと契約。日本でいう天皇杯に匹敵する大きなリーグ戦FFAカップで所属チームがいい成績を残しました。その際に個人インタビューを受け、その映像を見ていたメルボルンのチームの監督から連絡が入り、現在はメルボルンの州リーグ1部のチームでプレーをしています。
――今までの話が嘘のように、オーストラリアで活躍している小長谷選手の姿が見受けられすね。
小長谷選手:そうですね。オーストラリア2年目からは、現地にいるからこそ入る情報も多く、現地でプレーをするからこそどういうプレーや振る舞いが好まれるかがわかってきました。なので、トライアウト期間はチームに気に入ってもらえるようなプレーを心掛けていました。
――大学時代は、就職か海外でプレーか迷っていた小長谷選手、ズバリ、オーストラリアでのプレーを選択して良かったですか?
小長谷選手:良かったです!サッカー選手としてお金を稼ぐことができているだけでなく、異国の地で生活することで様々な価値観を持った人と出会うこともできました。日本にいたら絶対に知ることのなかった世界です。
――今後の小長谷選手に期待が高まりますね!本日はありがとうございました。
小長谷選手:ありがとうございました!
ライターからみた小長谷選手
一見、派手なイメージのある小長谷選手。しかし、インタビューを通して、どれだけ熱い気持ちを持っているかが伝わってきた。過去の失敗談すらも笑って話し、決して自分自身を飾らない。それでいて、真っすぐな熱い眼差しで語る彼の姿が印象的だ。今後、オーストラリアのサッカーリーグ最高峰である「Aリーグ」でプロのサッカー選手として活躍することを目指すという小長谷選手。今後のさらなる活躍を期待したい。
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