アスカツ編集部の新しく加わりました競技チアリーディングの笠原園花です。
今回取材したのは、2017年11月から2018年12月までオーストラリアのブリスベンでソフトボール選手としてプレーをしていた本庄遥(ほんじょうはるか)さん。前回私・笠原自身の取材記事を書いていただいたアスリートさんで、アスカツのピックアップアスリートのインタビュー記事のほとんどを執筆しています。女子ソフトボールといえば、2008年の北京五輪で日本代表が金メダルを獲得したのが記憶に新しい。2012年以降オリンピックの正式種目から外れたものの、2020年の東京五輪で復活が決定し、再熱が期待される競技。そんな女子ソフトボール界で、先見の目をもち海外でプレーする本庄さんの思いに迫る。
ソフトボールとの出会い
現在大学に通いながらソフトボールの選手として活動している、兵庫県生まれの本庄さん。そんな本庄さんがソフトボールに出会ったのは小学生2年生の時。当時学童保育で一緒に遊んでいたお姉さん達が加入していた地域のソフトボールクラブの練習に混ぜてもらったのがきっかけだったという。
自然と、ソフトボールができる環境のある中学校に進学したいという思いに導かれ学区外の中学校に進学。進学した中学校では全国4位という輝かしい成績、さらに兵庫県代表にも選ばれるほどの実力であった本庄さんであったが、中学校3年間で思う存分やり切ったため、高校でソフトボールを続ける気はなかったという。
しかし、当時通っていた学習塾の系列学校がたまたまソフトボールの超強豪校、岡山県の創志学園高等学校。学校側から学習塾を通して特別推薦のオファーをもらい、熟考の末、高校でもソフトボール続行を決意。これが本庄さんにとって最初のソフトボールの神様からの”導き”だった。
高校入学後は、授業は朝からお昼まで、そこから部活の練習が13時から18時の約5時間と長丁場。週末も練習。それでも「辞めたいと思ったことはなかった」と強く語る本庄さん。その本庄さん率いる創志学園高等学校は見事インターハイで優勝し、誰もがうらやむような実績を残した。
日本一経験後の葛藤、怪我との闘い
中学・高校と輝かしい成績を残した本庄さんであったが、この頃から「優勝ってなんだろう?勝ち続けるってなんだろう?」と好成績を残したが故の葛藤に苦しんだという。そこで、大学では視野を広げるため、文武両道を目指せる大学に入学。勉学に力を入れつつも、大学1年次の関西リーグ戦では防御率ゼロ、最優秀投手賞に選ばれるという快挙を果たす。
一方で、大学2年次頃から原因不明の肩の故障が発生。徐々に悪化していき、半年間はボールを全く投げられず、大学卒業後は実業団への入団を考えていたにも関わらず、身体的にも精神的にもそれを目指せる状態ではなくなってしまったという。
2度目のソフトボールの神様からの”導き”、そして海外への挑戦
そんな葛藤、怪我を抱えている時に、本庄さんにとって2度目となる“導き”となる、ある夢を見たという。(ここからは少しコミカル。) 「アメリカのウェルトンというチームに招待される夢を見たんです!」と笑いながら話す本庄さん。「夢が覚めてから、インターネットでウェルトンというチームが実在するのか調べました。でも架空のチームでした(笑) ただ、この時の夢は海外に行けと神様から言われているように思いました。」
本庄さんはさらにインターネットでの検索を進め、ソフトボールができる環境が整っているのがオーストラリアだと判断し、その日には渡豪を決意していたと話す。
日本も強豪国。なぜあえてオーストラリアに?
日本は強豪国で、技術がある。しかし、オリンピックで戦う相手は日本人ではなく、海外選手達。海外の選手に勝つためには、海外の選手と練習を共にし、どうすれば勝てるかを今のうちから先見の目をもって学ぶ必要があると思ったと本庄さん。実は、日本のソフトボール界では海外でプレーする選手は少ないそう。その中でいち早く海外に注目し、海外でプレーをするパイオニアになるという強い思いが本庄さんの中に強くあった。
努力の末掴んだオーストラリア・クイーンズランド州のU-23代表
1年間のオーストラリア留学では、海外の選手と戦う技術を習得しただけではない。「日本では勝ち続けることに集中してしまっていましたが、オーストラリアにきてから、楽しいからソフトボールをやるという考えでもいいんだなと気づきました。」
さらに、日本では不利とされてきた本庄さんの身長。オーストラリアでは自身の身体の2倍以上あるような大型の選手ばかりであったにもかかわらず、「体が小さい」と言われたことは一度もなかった。小さくても戦える。そんな自信を確固たるものにすることができた。
オーストラリアで楽しみながらソフトボールをプレーして約1年。技術的にも精神的にも成長を遂げた本庄さんはついに難関ともいえるクイーンズランド州のU-23の代表に選ばれた。「実はリーグ戦ではチームは最下位だったんです。日本なら、最下位チームから代表選手を選ぶというのはほとんどありません。オーストラリアでは、個人個人をしっかりと評価してくれる非常に良い環境でした。」
日本への帰国を経て、今後の目標は?
「まずは2019年の9月に、アメリカの実業団のトライアウトに参加します。」と強く意気込む本庄さん。その後は、2020年の東京オリンピックで日本代表に選ばれること。しかしそれよりも大きな使命があると話す。今まで自身が海外でプレーして気づいたこと、海外でプレーするという選択肢もあるということ、体形は関係なく競技できること、そして本庄さんが今まさにFind- FCを通して実施している「企業スポンサーという形で、どこの企業に属さなくても選手としてプレーできるということ」、これらを未来のソフトボーラ―達に発信していくことこそが本庄さんにとっての最大の使命であると強く語る。
誰よりも早く海外に着眼し、誰よりも先を見据えて海外に挑戦する本庄さん――。
その熱い行動力と熱意が今後日本の女子ソフトボール界を変えることになるに違いない。
本庄さんをもっと詳しく知りたい方はこちら