みなさんこんにちは!女子サッカーをしている大宮玲央奈です。
今回のアスリートインタビューは、ローラースケートフィギュアの西木紳悟さんです!
自己紹介
ーーーまずは自己紹介をお願いします。
ローラースケートフィギュアという種目をしています、西木紳悟です。
今は選手を引退をして、ローラースケートという活動を日本で広めるために、インストラクターをしたりパフォーマーをしています。
ーーー本日はよろしくお願いします!
よろしくお願いします!
ローラースケートフィギュアとは
ーーーお恥ずかしながら、ローラースケートフィギュアという競技を今回初めて聞きました。
アイススケートのフィギュアスケートは日本でも人気な競技かと思うのですが、その夏バージョンと考えていただくとイメージしやすいかと思います。
スノーボードとスケートボードのように、アイススケートとローラースケートも同じような感じです。
他にもフィギュア以外に、スピード競技やリンクホッケーがあったりと、冬季でもあるような競技が夏季にもあるんです。
ーーーとてもわかりやすく教えていただき、ありがとうございます!
正式種目は、アーティスティックローラースケーティングという競技名になっていますが、わかりやすいようにローラースケートフィギュアと名乗っています。
四輪のスケートシューズを履いて陸上で演技をして、得点を競う競技です。
平らな床さえあればできるスポーツです!
知らずに入った近所のスケートクラブがまさかの日本一!?
ーーーローラースケートフィギュアを始めたきっかけはなんだったんですか?
私自身が子供の頃に、インラインスケートが流行っていました。
駐車場とかで滑ってたりしてたんですけど、もちろんそんなところで滑るのは危なかったので管理人さんによく怒られたりしていて、、(笑)
それでどこか滑れるところないかなと思って探していたら、近所にスケートクラブがあることを知りました。
体験入学に行って、選手としていい感じに育つぞ!みたいに言ってもらえて、そこがきっかけで始めることにしました。
当時は全然知らなかったのですが、実はそこが日本で一番強いクラブだったんです。(笑)
ーーーたまたま見つけたところが一番のクラブだったなんてすごいです。さらにそんなクラブの方から才能を見出されたなんて、何か光るものがあったんでしょうね!
もしかしたら、そういう営業だったのかもしれないです(笑)
でも、スポーツだったり球技が苦手で褒められたことがあんまりなかった中で、スポーツで褒められた!という気持ちが結構大きかったですね。
ーーースポーツ苦手なのが想像つかないです!(笑)
いやー、ほんとに球技が苦手で、、、
それこそサッカーとか全然できないです!!
全然別物です。(笑)
イタリアでの6年間が動かした引退後の人生
ーーー今は選手を引退されて、普及や育成に力を入れているとお聞きしました。
そうですね。
私自身が選手の頃もそうだったのですが、大学卒業だったり、いろいろなことをきっかけにスケートを離れようと思ったことがあったんです。
多分どの競技もそうかもしれないとは思うのですが。。
ーーーまさに女子サッカーもそうです。節目節目で競技継続を迷って、かといってやめる勇気もないというか。。
そうですよね。
私も同じような感じで何度かやめようか悩むけど、セカンドキャリアが築けないっていうことだったりで、結局ずるずる続けていました。
一応日本の中では強いと言われている徳島で続けてはいたのですが、世界的に見たら日本は全然下の方です。
でも競技を続けるんだったらしっかり続けたいなと思って、イタリアに拠点を移して1人で6年間トレーニングを積みました。
ーーー6年間も!そこで何か変化が起きたんですか?
ぶっちゃけた話、それまではあまりコーチだったり、サポートしてくれる人の大切さに気づけていませんでした。
海外に1人で行って、イタリアで素晴らしいコーチに出会ったことで、ランキングがすごい上がって、アジアの中でも一番レベルが低いと言われている日本人が世界5位というランクをもらえるというのは、自分でもあり得ないと思っていたので、コーチの力ってめちゃくちゃすごいものなんだなと感じました。
そして日本に帰ってきて、引退をした後に、せっかくイタリアでここまで頑張ってきたのだから、日本でこの競技をもっと広めたいなと思って芸能のお仕事だったりクラブを作ってみたりして今は活動をしている次第です。
パラリンピック閉会式でのパフォーマンス
ーーーご自身の活動と普及活動、今はどのくらいの割合なのでしょうか
プロパフォーマーとしてイベントだったり、ローラースケートを使うようなテレビに出演させてもらったりという活動もしています。
でもどちらかというとそれはあくまで2割くらいで、今は選手育成だったり、選手ではないけれどテレビ出演したい方や、スケートを使って活動したい方たちの指導をメインに活動しています。
ーーーこれまでに印象にあるイベントはありましたか?
大きいものでいうと、パラリンピックの閉会式にパフォーマーとして出させていただきました。
ーーーすごい!!そういう形でオリンピックに参加する方法もありですよね!
そうですね、今まで積み重ねてきたものだったり、ご縁があってできたので自分の中でもやってきてよかったなという思いはありましたね。
イタリアの女性No.1コーチへ猛烈アプローチ
ーーーイタリアに6年間とおっしゃっていましたが、なぜイタリアだったんでしょうか?
当時はとにかくイタリアが強かったからです。
表彰台をイタリアが独占するくらい強かったんです。
当初は観光ビザで入国して3か月間で、レッスン費だったり自分の全財産を使い切って帰ろう!という予定だったんですけどね、、、(笑)
ーーーそれがまさかの6年になったんですね!(笑)
初めはどの先生につくかコーチ探しから始まり、行ったら行ったで意外とオファーもいただけたりして逆に迷ってしまったりというような1か月でした。
そんな時に1人めちゃくちゃつきたいというか、教えてほしい先生を見つけたんです。
でもその先生にあなたはもう成人しているので直すのが無理です、と断られてしまったんですよね。
それでもめちゃめちゃ教えてほしかったのでその先生のレッスンについていく生活をしていたら3か月くらいが経っていました。
ーーービザの期限もありますし、今後の決断もしないといけないですよね。
私があまりに粘ったせいで先生も諦めがついたのか、「もうあなたのこと見るわ。」みたいに言われて(笑)
結局見てくれることになったのですが、その時にはもうお金も使い果たしていてなかったので、またお金稼いでから来ます、と伝えたんです。
そしたら「もう私が全部スポンサーするからいいわよ」とありがたいお話もいただけたんです。
観光ビザでの入国しかできなかったので3か月行っては日本に帰って、というようなサイクルだったのですが、そこからは旅費もそうですし、スポンサーさんも見つけてきてくれたり、6年間お世話になりました。
ーーー先生が粘り負けした感もすごいのですが、、(笑)ただ、それだけサポートまでしてくれるのは熱意が伝わったんですね!
こういう時私はすごく諦めが悪くて、、(笑)
女性の方でイタリアの女性No.1コーチと言われていて、世界チャンピオンも何人も輩出している先生なのですが、本当にいい出会いができて、ついてもらえて良かったです。
ーーーちなみに、イタリア語だったり、語学は勉強して行かれたんですか?
いやーもう全然。えいっ!って感じで行っちゃいました。
NHK教本みたいなものは一応持って行ったのですが、実際行くと全然話せなくて、さらに英語も全然話せなかったので、語学はフィーリングでどうにかしようと思っていました(笑)
最低限 I want to だけは言えるようにしようと少しずつ現地で勉強しましたね。
ーーーイタリアでサッカーしていた友人が、食事はおいしいけど長い!といっていたのをふと思い出しました。
確かに長いかもしれないです。だらだら食べ続けるというか。
日本は逆に早いですよね?(笑)
あとイタリアのお肉はあまりおいしくなかった記憶があります。
パスタ・ピザは安くておいしいんですけど、お肉はパサパサしていて飽きちゃいますね。
筋肉をつけるためにお肉食べなさいと言われていたので、結構きつかったです。
有終の美を飾り、引退。そしてプロスケーターへ。
ーーー西木さんの思う競技の魅力を教えてください。
ほとんどの競技では1対1でも団体での勝負でも勝ち負けがあって、輝く選手や有名な選手がいるチームが見られたりっていうのがあって、目立つ目立たないの温度差が結構でてきたりすると思います。
この競技では、国柄もレベルも関係なく、同じ分数でチャンスを与えられて1人1人演技を見てもらえて、少なくともその4分間は主役になって自分の作品を絶対に見てもらえるというところが一番の魅力なのかなと思います。
ーーー競技とプロパフォーマンスはどっちが合っていますか?
んーとても難しいですね(笑)
競技は競技でお客さんがとても多くてテンション上がりますし、アイスのフィギュアよりもローラーのフィギュアの方がラテン系な感じがあって、太鼓鳴らしながらだったり、割と激しくて盛り上がって楽しいんですよね。
プロはプロで普段テレビで見てるような方達や有名な人とお仕事が関われたり、パラリンピックだったりすごく名誉のあるイベントに参加させてもらったり、また違った良さもあって。
ーーー決められないですよね!(笑)競技の引退後については元々何か考えていたんでしょうか?
引退する2、3年前から引退については考えていて、それがだいたい27とか28歳の時でした。その時の引退を考えていた理由は、そろそろ就職だったり、仕事をしないと人生やばいなというのがあって、世間体とかも気にはしていました。
そんな気持ちで辞めたは辞めたのですが、たまたま舞台のオーディションがあるという話を聞いて、ダメ元でやってみたのがきっかけで今も続けています。
もうスケートが好きじゃなくなったり、やり切ったというよりは、正直世間体で引退した部分が大きかったですね(笑)
その年にイタリアで世界戦があって、その後の全日本を最後にと思ったのもありました。
ーーー競技生活最後の大会の結果はどうでしたか?
イタリアの世界戦は7位で、本当はもう少しいい順位が欲しかったんですけどね。(笑)
その後のアジア大会では優勝できました。
ーーー有終の美ですね!
いやー、本当は世界でメダルをとりたかったんですけどね!(笑)
2年くらい前から周りにもこの時に引退すると言ってたので、まぁ良かったのかなと思います。
日本で唯一のプロとしての自覚
ーーーご自身で思う長所はどこでしょうか?
いいのか悪いのかはわかりませんが、どんどん突き進めるところですかね。
とりあえずやってみよう!で、もしそれで失敗しても後悔はしないだろうと。
あとはポジティブなところも良さだと思います。
ーーープロスケーターとしての道も突き進まれてますもんね!
今日本には、競技をしながらプロスケーターとして活躍できるような制度がないのが現状です。選手だけで食べていける人は日本には誰もいません。
海外だとコーチとして食べて行けたりもするので、国際コーチの資格を取ったり今勉強をしています。
コーチの中にも国際連盟でランクがあるので、そういう研修を受けたりもしています。
プロのパフォーマーというのは自分の中では、それを仕事としている人たちだと思っていて、制度も規定もないからこそ自分でしっかりプロ意識を持ってやらないといけないなと思って自分自身も活動しています。
ーーー西木さんの大きな目標を教えてください。
自分の周りにいるスケートを仕事にしたいと思っている人たちのサポートをしたりとか、こういう道もあるよと自分が切り開いて後輩たちや今の子供たちに夢を渡したいなという気持ちが強いです。
だからこそ自分はプロとしてお仕事を全部引き受けるようにしています。
ーーースケートの環境を良くして、スケーターという職業にするということですね。
そうですね、日本だと屋外でも10こくらいしか滑れる場所がなくて、場所がない=選手も育てにくというのもあると思うので、滑れる場所を増やしたいです。
また、自分みたいにセカンドキャリアで生活できる人をもっと増やして、最終的にはそれだけで生活できるように環境を整えることが大きな目標ですね。
ーーー現在、環境を整えるための具体的な活動があればぜひ教えてください!
日本ではまだまだローラースケートは壁を傷つけたり、物を壊してしまうというネガティブなイメージが強いのかなと思います。
それはマナーの悪いほんの一部の人たちで、選手として頑張っている人たちは技術も高いので傷つけることも基本的にはないと思いますし、実際ローラースケートのウィール(タイヤの部分)もゴム製のものが増えて、傷つけにくくできています。
こういう細かいこと等、知らないことが多いと思いますし、知らないと理解もできないと思うので、地道ではありますがこういったことも発信していきたいです。
ーーー私も西木さんの発信のお手伝いが少しでもできたら嬉しいです!本日はどうもありがとうございました!!
あとがき
プロローラースケーターとして、自身の活動と育成、普及など日本のローラースケート界を担う西木さん。
制限が厳しい日本でも少しずつ理解を広げられるように、「まずは自分が動く」という精神で活動している彼のプロ意識の高さが随所に現れていました。
また、地面があれば滑れるという強みを活かし、室内で行われる競技のハーフタイムショーや、大きなイベントのパフォーマンスなどとの融合は可能性に満ち溢れているなと感じました。
これから大きな発展が待っているプロローラースケーター西木紳悟さんの今後の活躍に注目です!
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西木紳悟プロフィール