現在、日本代表入りを目標に活動しておりますフィンスイミング選手の世古千紘です。
今回は2021年世界水泳、さらに2024年のパリオリンピック出場を目標に活動している飛込競技の佐々木康平選手にインタビューしました。
自己紹介
1999年、宮城県生まれ。高校までは宮城県のクラブチームに所属して活動。現在は日本体育大学にて勉学にも励みながら、競技に打ち込んでいる。
飛込競技とは?
水泳競技の一種で、一定の高さの飛び込み台から空中に飛び出し、着水までの一連の動作の技術、美しさを競う採点競技。飛込から着水まで、わずか2秒弱という短い時間内に様々な技を繰り出し、評価点を競う。
1m、3mの高さにあるプールにせり出した弾力性のある飛び板より跳ね上がって飛び込む『飛び板飛び込み』と、5m、7m、10mの高さにある弾力性のないコンクリート製の飛び込み台から飛び込む『高飛び込み』がある。
飛込競技との出会い
兄が先に飛込競技を始めており、兄の練習について行くうちに興味を持ち始めた。5歳頃にはプールサイドからプールに飛び込んでみたりと最初は遊び感覚であったが、いつのまにか練習に通い始めていた。
競技として考えるようになった瞬間
最初は週1回程度、遊びの延長線上のようなものだったが、どんどん技などできることが増えてきたときに、もっといろんなことができるようになりたいと思ったのが小学3年生の頃。
翌年の小学4年生の頃には、全国大会にも出場できた。初出場の全国大会では順位も2桁、納得のいくパフォーマンスができず悔しい思いをした。しかし、それによってさらに競技に対して熱が入り、その後全国大会優勝も果たすことができた。
飛込競技の魅力
佐々木選手が考える飛込競技の魅力は…
美しさを競う競技なので繊細だが、そのなかにもダイナミックさがあり、自身のパフォーマンスで観客を魅了できるところ。
また、自身では技が完璧に決まり、ノースプラッシュで着水できたときはとても気持ちがいい。
怪我によるスランプからの脱却
中学1年生のときに左膝の膝蓋骨骨折、高校3年生のときに右膝の膝蓋骨骨折という、二度にわたる大怪我と手術を経験。リハビリ期間もそれぞれ1年ほどかかり、その間は成績も残せず非常に苦しい状態が続いた。しかし、辛いリハビリにも弱音を吐かずに取り組み、諦めずにトレーニングに励んだ結果、今年度の日本室内選手権で2位で決勝進出、決勝は6位だったものの、怪我からの復活、そして自信にも繋がり、今後への希望の光が差し込んだ。
活動状況
現在は大学での活動で、朝晩の1日2回、週6日練習を行っている。1回の練習で平均50本ほどのダイブをするが、毎回集中して飛ばなければ、大怪我に繋がることもあるため、集中力を切らさないようにすることが非常に重要である。
練習環境でいうと、大学のプールが屋外のため、冬場(11月~3月)は陸上でのトレーニングがメインとなる。
全国的にも大会で使用されるような屋内のプールが冬場だとスケートリンクになるなど練習環境が減り、飛込競技の選手は冬場は陸上でのトレーニングがメインとなることがほとんどである。
最大のライバルは自分自身
高校生の頃までは周りの選手の活躍や記録が気になっていたが、今はそうではない。
「いかに自分に打ち勝ち、自分の力を発揮し、最高のパフォーマンスができるか」
それが結果に直結するのだという考えに変わったとき、それまで以上に自身のパフォーマンスに集中できるようになり、自信が持てるようになった。
これが現在の佐々木選手の強みなのかもしれない。
将来の目標
『2021年世界水泳、2024年パリオリンピック出場』
怪我により、2020年東京オリンピックは厳しくなったが、その先を見据えて現在もトレーニングに励んでいる。
「この大きな目標を達成するためにはまず、国内最大の日本選手権で結果を残し、ナショナルメンバー入りを果たすこと」だと。
さらに、「マイナースポーツである飛込競技の魅力をたくさんの方に知っていただきたい」という思いからも、今後の飛込競技の普及・発展の第一人者となってくれることだろう。
まとめ
最近では若手選手の活躍がメディアでも取り上げられ、注目度も少しずつ上がってきている飛込競技。
落ち着きのあるなかにも、熱い闘志がメラメラと燃えていることが佐々木選手の言葉の端々から感じられました!
その強い志を持ち続け、自分に打ち勝ち、ライバルに打ち勝ち、世界の舞台で戦ってほしいと思います!
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