
【日本一の監督対談】柔道で人生が変わった金野先生の挑戦の軌跡
アスリートとしてのキャリアを考えるとき、誰もが順風満帆な道を歩めるわけではありません。むしろ、挫折や苦悩を乗り越えた先に、本当の成長が待っているのかもしれません。
YouTubeチャンネル「アスリートキャリア」では、日本大学柔道部の金野先生へのインタビューを通じて、中学時代に「毎日やめたい」と思っていた選手が、どのようにして全日本選手権優勝、そして指導者として日本一へと至ったのか、その軌跡が明かされています。現役アスリートの方々にとっても、引退後のキャリアを模索している方々にとっても、この対談には多くのヒントが隠されているでしょう。
日本一を生み出す環境づくりの秘密
日本大学柔道部が持つ最大の特徴は、道場と寮が一体となった独特の施設構造にあります。1階に道場、2階と3階に寮という設計は、全国でも極めて珍しい形態です。この環境が選手たちにもたらすメリットは計り知れません。練習後の移動時間がゼロになることで、選手たちは柔道に集中できる時間が飛躍的に増加します。食事、入浴、就寝まで全てが同じ建物内で完結するため、エネルギーのロスが最小限に抑えられるのです。
ただし、この環境には表裏があります。プライベートな時間がほとんど確保できないため、個人の時間を重視する学生には敬遠される傾向があるのも事実です。しかし、実際に入部した学生たちからは「家族的な雰囲気がある」「思っていたより快適で楽しい」という声が上がっています。この一見厳しく見える環境こそが、選手同士の絆を深め、チーム力を高める要因となっているのです。
施設環境が競技力に与える影響
競技施設と生活空間が一体化していることで、選手たちは常に柔道と向き合う覚悟を持つことになります。この環境は、単なる物理的な利便性を超えて、選手たちの精神面にも大きな影響を与えています。移動時間がないということは、それだけ練習や休息に充てられる時間が増えるということです。また、仲間と24時間生活を共にすることで、互いの課題や成長を日々実感でき、切磋琢磨する文化が自然と醸成されていきます。

東京という立地の優位性
東京には全国から強豪選手が集まります。金野先生自身も高校時代、この環境の恩恵を受けました。数多くの強い選手たちと日常的に稽古できる環境は、地方では得難い貴重な経験となります。付属校だったため大学の練習にも参加できたという金野先生の経験は、若い世代にとって競技力向上の大きなチャンスとなっていました。ただし、当時の大学柔道部は「昭和の厳しい空気感」が支配的で、精神的にも肉体的にも過酷な環境だったと振り返っています。
挫折から這い上がる力の源泉
金野先生の柔道人生は、決して順風満帆なものではありませんでした。中学生で柔道を始めたきっかけは、実は「第一希望の水泳部が定員オーバーだったから」という偶然でした。柔道について何も知らない状態で入部した金野先生を待っていたのは、想像を絶する厳しい環境でした。
中学時代は「毎日やめたい」と思うほどの苦痛の連続でした。昭和特有の厳しい先輩後輩関係、過度な指導、そして何より成果が出ない焦燥感。初段試験に3回落ち、市の大会や県大会でもすぐに負けてしまう日々が続きました。毎日練習しているにもかかわらず、全く結果が出ない状況は、若い選手にとって最も辛い経験の一つでしょう。
転機となった高校進学
それでも金野先生が柔道を続けた理由は、「高校でもう一度やってみたい」という純粋な思いと、「途中で投げ出すのはかっこ悪い」という変なプライドでした。推薦を受けられなかったため、自力で受験勉強をして日本大学第一高校に合格します。ここで金野先生の柔道人生は大きく変わりました。
高校で初めて、毎日練習に来て指導してくれる監督と出会ったのです。中学時代は顧問が来る頻度が少なく、技術指導は先輩から後輩へという形式が主でした。しかし高校では、柔道の原理原則を体系的に学ぶ機会を得て、少しずつ勝てるようになっていきました。この経験は、指導者の質と指導方法が選手の成長に与える影響の大きさを物語っています。

環境が人を変える瞬間
中学時代と高校時代の違いは、単に指導者の有無だけではありませんでした。東京という環境で、数多くの強い選手たちと稽古できたことが、金野先生の競技力向上に大きく貢献しました。強い相手と練習することで、自分の課題が明確になり、技術も磨かれていきます。この経験は、アスリートにとって環境選択がいかに重要かを示す好例といえるでしょう。
柔道界の文化と時代の変遷
金野先生が現役時代を過ごした昭和から平成初期の柔道界は、現代とは大きく異なる文化が支配していました。技術やフィジカルだけでなく、精神的に追い込むことや厳しい環境に耐えてこそ強くなれるという「根性論」が、当たり前のように存在していたのです。
この文化は柔道に限らず、当時のあらゆるスポーツに見られた考え方でした。しかし金野先生は、柔道が軍事訓練に使われた歴史的背景も含め、アジア圏、特に日本では、ヨーロッパ(スポーツが気晴らしや楽しみで始まった)とは違ったマインドセットが組み込まれていた可能性があると分析しています。この視点は、日本のスポーツ文化を理解する上で非常に興味深い洞察です。
大学進学と師との出会い
付属校だった金野先生には、他にも行きたい大学がありました。しかし当時は、監督が進学の人事権を強く持っており、「お前はここに行け」と言われると従わざるを得ない空気感がありました。最終的に腹をくくって日大への進学を決めた金野先生を待っていたのは、革新的な指導者である高木長之助先生との出会いでした。
高木先生は、「稽古をすればいい」という考えが主流だった時代に、冬場にウェイトトレーニングを取り入れるなど、新しいことに挑戦するタイプの指導者でした。この革新的な姿勢は、後に金野先生自身が指導者となった際の指針にもなっています。時代の変化を読み取り、新しい方法論を取り入れる柔軟性こそが、強いチームを作る秘訣なのかもしれません。
ライバルの存在が生んだ成長
大学時代、金野先生は小川直也選手をライバルとして強く意識していました。高校時代は互いに突出して強くなかったものの、大学に入ると小川選手は世界チャンピオンになるほど成長しました。「置いてかれた」という感覚を持った金野先生でしたが、この経験が逆に大きな原動力となりました。
「彼に勝ちたい」という強い思いが、稽古へのモチベーションとなり、自分自身を鍛え上げる力となったのです。ライバルの存在は、時に苦しいものですが、自分を高めるための最高の刺激にもなり得ます。この経験は、現役アスリートの皆さんにとっても、ライバルとの向き合い方を考える上で参考になるでしょう。
全日本選手権優勝という頂点での心境
金野先生は27歳と30歳の2度、全日本選手権で優勝を果たしています。
しかし、同じ優勝でも、その心境は全く異なるものでした。この違いこそが、アスリートとしての成熟を物語っています。
27歳での優勝時、金野先生は「何が何でも勝つんだ」という思いで臨みました。悲壮感の塊であり、1秒1秒が長く感じるほど苦しい戦いだったといいます。一方、30歳での優勝時は、小川選手引退後、井上康生選手など若手が台頭する時代でした。この時の金野先生は、競技を楽しみ、戦術や戦略、組み手などを試しながら柔道の面白さを感じていました。
いい意味で力が抜けて試合ができ、自分の立てた戦略が当たった試合だったため、27歳の時とは全く違う心境だったと振り返っています。この変化は、アスリートとして成熟することの意味を深く考えさせられます。力みすぎず、しかし集中力を失わない。この境地に至るまでの過程こそが、真のアスリートへの道なのかもしれません。
日本柔道界が抱える特殊な環境
金野先生は、日本の柔道界が持つ独特の状況について、率直な見解を述べています。
階級にもよるものの、世界で金メダルを獲るよりも日本の代表選手になるのが一番難しい階級は確実に存在するというのです。この指摘は、日本柔道界の層の厚さを示すと同時に、選手たちが直面する厳しい現実を浮き彫りにしています。
日本柔道界のメリットとデメリット
日本で柔道をすることには、明確なメリットとデメリットが存在します。メリットとしては、柔道をする環境、稽古相手、ライバルが国内にたくさんいるという恵まれた状況があります。日常的に高いレベルの選手と練習できることは、競技力向上において計り知れない価値があります。
しかし、デメリットも深刻です。国際大会に出ても、負けてしまうとすぐに次の選手に取って代わられてしまうという、常にサバイバルのような厳しい状況があります。常に勝ち続けなければ次のチャンスが巡ってこないかもしれないという重圧は、選手たちの精神的負担となっています。
海外選手との試合経験の違い
海外の選手は、国内競争がそこまで熱くない分、国際大会に何度も使ってもらえる傾向にあります。これにより、ワールドツアーを経験する中で勝つ能力が上がっていくため、「試合の中で強くなっていける」という利点があります。金野先生は、この点を日本の選手にとって羨ましい部分だと認めています。
日本は国際大会で結果を求められる重さが違います。負けると評価が下がるため、選手は常にプレッシャーにさらされています。一方、海外では、そこまでエネルギーを出さなくてもいい試合を設定し、徐々に調子を上げていくような使い方をする場合もあります。負けてもサバサバしていることもあるという環境の違いは、選手の成長過程に大きな影響を与えているのです。
階級による過酷な現実
安倍選手と丸山選手のように、世界チャンピオンが2人同時代にいるような階級では、本来であれば世界選手権やオリンピックで金メダルを取れたはずの選手が、国内の大会で日の目を見ないまま終わってしまうケースもあります。この現実は、日本柔道界の層の厚さを示すと同時に、選手たちにとっては残酷な側面でもあります。
指導者としての新たな挑戦
東京オリンピックのタイミングで、金野先生は山下先生から強化本部長になってほしいと要請されました。この依頼に対し、当初は戸惑いと恐怖しかなかったと正直に明かしています。選手として頂点を極めた人物でさえ、指導者としての新たな役割には不安を感じるものです。
現在、金野先生は日本大学柔道部をさらに成長させるため、心技体すべての面において強化していかなければならない部分があると考えています。この謙虚な姿勢こそが、日本一を目指すチームを率いる指導者としての資質を示しているのかもしれません。
YouTubeチャンネル「アスリートキャリア」で続きを
金野先生の対談は、まだまだ続きがあります。全国優勝した秘密、指導者として大切にしている哲学、そして現役アスリートや引退後のキャリアを考えている方々へのメッセージなど、この記事では語り尽くせない貴重な内容が、YouTubeチャンネル「アスリートキャリア」で公開されています。
金野先生が語る「挫折からの復活」「ライバルとの向き合い方」「指導者としての覚悟」は、現役アスリートはもちろん、引退後のキャリアを考えている方々、そしてアスリート採用を検討している企業の方々にとって、必見の内容となっています。動画の後編では、さらに深い話が展開されていきます。
金野先生が全国優勝に導いた指導法の核心部分、そして日本大学柔道部が今後目指す方向性について、ぜひ動画でご確認ください。
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