こんにちは!オーストラリア・メルボルンで競技チアリーディングの選手として活動している笠原園花です。
今回は、同じオーストラリア・メルボルンにてサッカー選手としてプレーする金選手にお話しを伺ってきました。本田圭佑がサッカーをプレーしていることでも有名な、オーストラリア・メルボルン。本田圭佑よりも前にオーストラリアに渡航してひたすら練習をし続けている金裕志(きんゆうじ)選手が当初苦労したことや今後の大きな夢について語ってもらいました。
金選手の自己紹介
1995年生まれ。5歳からサッカーを始め、その後中学、高校、大学でもサッカーを続けてきた金選手。東京農業大学に入学する頃には、「卒業したら日本でプロサッカー選手になりたい」という大きな夢を掲げるようになった。
プロサッカー選手という選択肢しか考えていなかったため、大学時代に就職活動は一切行わなかった。
しかし現実はそう甘くない。大学時代にJ1のトライアウトを受けたが、受け入れてくれるサッカーチームはなかった。また、JFLのチームから練習に呼ばれたこともあったが、サッカースクールのコーチと選手活動で月給6万円のみ。メンバーのほとんどが仕送りなど金銭的な支援を受けながら選手としての活動を続けている状態で、金選手にとっては厳しい条件だった。
就職先も所属チームもない金選手がとった選択肢
「日本でプロサッカー選手になる」と意気込んで就職活動をしなかったため、就職先もなく、受け入れてくれるサッカーチームもない状態だった。このままではいけないと、オーストラリアでのサッカーチーム斡旋業を行う「豪侍」に相談しに行った。話を聞いているうちに、オーストラリアでサッカーをプレーしてみたいと直感的に思うようになった。
一番の決め手は「英語環境であること」。サッカーをプレーするのみならず、英語を同時に学ぶことができる環境は将来必ず役に立つとその時に確信した。
初海外、英語力ゼロからの海外挑戦
2017年11月、オーストラリアのゴールドコーストに向かった。「実はこの時が初めての海外だったんです。」と金選手。航空券の取り方も空港への行き方もわからない状態だった。オーストラリアについてからは、コンビニエンスストアで水一つ買うのも一苦労。相手が何を言っているのかがさっぱりわからず、レシートがほしいかと聞かれているのに、お金を差し出してしまったこともあったという。
それでも、豪侍の助けもあって、ゴールドコーストのサーファーズパラダイス・アポロFCというチームにすぐに入団できた。約10チーム所属するゴールドコーストの独立プレミアムリーグの中ではトップ3に入る強さのチームで、シーズン中には金選手の活躍が認められ、ゴールドコースト選抜チームにも選ばれた。ゴールドコースト全体から16人のみが選ばれる狭き門で、ゴールドコーストでは金選手の名前が知られるようになってきていた。
サッカー都市メルボルンでの新たな挑戦
ゴールドコーストでは、オーストラリアの上位リーグでもあるナショナルプレミアグリーグ(NPL)に所属するチームからオファーを頂いていたが、金選手はあえてそのオファーを断った。
オーストラリアでサッカーといえば、メルボルンかシドニーが有名。大都市のほうがサッカーチームの規模も大きく技術も上だ。チームにつくスポンサーの数でみても、ゴールドコーストの規模とは天と地の差である。そのため、世界各国の選手達がシドニーやメルボルンを目指してオーストラリアにやってくる。
そこで金選手は、ゴールドコーストで上を目指すのではなく、メルボルンやシドニーのサッカーに挑戦すると意思を固めた。
メルボルンでの最初の挫折
ゴールドコーストにいた頃に、ナショナルプレミアムリーグにも所属するメルボルンの強豪チーム、サウスメルボルンのトライアルに行けることが決まり、早速メルボルンに飛び立った。
ナショナルプレミアムリーグのチームに所属することが多くの外国人選手にとっての目標でもある。そのチャンスが目の前にあった金選手はこのチャンスにかけていた。
当初一週間のトライアルと言われていたが、トライアル中に思ったより良いプレーができ、監督からもう少し練習を見させてほしいと言われ、2週間、3週間とトライアル期間が伸びた。その後監督からは「メンバーに入れる」と言われたが、監督の独断ができない組織だったため、上の許可が下りず、結局チームに入団することはできなかった。
不幸にも、この3週間のトライアル期間に、ナショナルプレミアムリーグの移籍期間が終了。このチームに3週間を費やしてしまった金選手は、所属するチームがないどころか活動資金も底をついていた。
メルボルンでのさらなる挫折、そして差別
あとがなくなった金選手は、一つ階級が下のメルボルン州リーグ1部に所属するチームへのトライアルに挑んだ。しかし、そこでは悲惨な差別にあう結果となった。
トライアル中の金選手を他の選手達が歓迎する雰囲気が全くなかった。話しかけてもらえることがなかったため、自分から会話をしようと輪の中に入るも、全員から良い対応をされなかった。トライアル中に参加した合宿の最終日にチーム全員で行くことになったクラブパーティでも、飲もうとしていた水を目の前で捨てられた。
強豪チームであっただけに残念だが、このチームでプレーをすることはできないと判断した。そう判断したのと同時期に、チーム側から入団を断られた。
「もうどこでもいいからチームを決めなければ」と考える境地に至っていた金選手は、さらに一つ下の階級のリーグであるメルボルン州リーグ2部に所属するチームのトライアルにも参加した。しかし、練習は公園、集まる選手は毎回8人程度と信じられない練習環境だった。「わざわざオーストラリアでこのチームに入るくらいであれば日本に帰る」と、このチームの入団も自ら断った。
「サッカーでだめでも」
この3チームのトライアルを経て精神はボロボロになった。ゴールドコーストでお世話になっていた豪侍に相談したところ、「チームのトライアルのためにオーストラリアにいるのではなく、サッカーでだめでもとにかくオーストラリアには1年住むという決断をしたほうがいい」という助言をもらった。
そして、チームが決まっていないまま、1年間滞在できる学生ビザを取得。寝られない日々が続いたが、サッカーでだめでもオーストラリアでは英語を学ぶことができるし、様々な文化に触れることができると前向きにとらえた。
最後のチャンス
サッカーでだめでも1年間はオーストラリアに住むという覚悟を決めた後、メルボルン州リーグ1部の歴史ある有名チームのトライアルのチャンスが舞い込んだ。外国人枠は残り1名。この1枠に、ポーランド人選手、アフリカ人選手、そして日本人の金選手が争った。
金選手のポジションはミッドフィルダー。しかしこのチームはフォワードが必要だという。このチャンスにかけていた金選手は、「フォワードもできる」と嘘をついた。本当は、フォワードの経験は全くなかった。
ミッドフィルダーとフォワードでは動き方が全く異なるが、トライアル期間は頭をフル回転させ、どのように動けばいいか考えながらボールをひたすら蹴った。そしてたまたま練習試合で点を取ることができた。
この1点が契約につながった。気づいてみれば、同日にトライアルに来た外国人選手2人は練習に呼ばれなくなっていた。
「日本では試合中の動き方が重視されるが、オーストラリアでは点を取るか取らないかが重視される。この考え方が僕のプレーにマッチしたのだと思います。」と金選手は語る。
オーストラリアでの大きな目標
メルボルンでの挫折やチーム内での差別を乗り越え、無事にチーム契約を勝ち取った金選手。現在は、滞在ビザにかかる学費を納めるために、アルバイトをしながら、サッカー選手としてプレーをする毎日だが、最終的な目標は、サッカー選手としての報酬のみで生計を立てることだという。
その目標を実現させるためには、オーストラリア最高峰のナショナルプレミアムリーグに所属するチームに入団することが必要といえる。
来シーズンはナショナルプレミアムリーグのトライアウトにも再挑戦したいと意気込む金選手は、「オーストラリアで実力を認めてもらうには、どれだけ試合で点数を取ったかが重要。そのために今は点を入れることを一番に考えてプレーしています。」と力強く語る。
まとめ
英語力ゼロ、海外渡航経験ゼロから始まったオーストラリア生活。今では、所属チームの監督に不満や思ったことをなんでも言えるくらいに英語力も伸びたという。挫折を乗り越え、熱い気持ちでサッカーをプレーする金選手は今後メルボルンでもますます注目されるサッカー選手になるに違いない。
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