こんにちは!現在オーストラリア・メルボルンで競技チアリーディングで世界一を目指す笠原園花です。
今回は、ジュニアオリンピックでの優勝経験を持つフェンシング期待の星、狩野選手をインタビューしました。「フェンシングが大好き」という狩野選手の、今までとこれからに迫りました。
狩野選手の自己紹介
2000年、宮城県生まれ。国体出場経験もある元フェンシング選手の父と、現在フェンシング選手でもある兄と姉を持つ狩野選手は、フェンシング一家の末っ子として育った。家族の影響で小学校1年生からフェンシングを始め、これまでの13年間をフェンシングに注いできた。現在は早稲田大学スポーツ科学部に通い、勉学とフェンシングの両立を図っている。
フェンシングとの出会い
兄や姉の影響で、小学1年次に始めたフェンシング。仙台市にあるフェンシングクラブに通っていたが、最初はルールもわからず遊び半分だった。
しかし、“その遊び半分”が、“本気”に変わったのが、小学2年次に出場した東北地区のキッズ大会。この大会で銀メダルを獲得し、その嬉しさから、8歳にして「フェンシングを本格的にやる」と決意した。
10歳で国際試合で銅メダルを獲得
フェンシングを本格的にやると決意した狩野選手の勢いはその後も止まらなかった。
フェンシングの練習は週7回。放課後に学校の友人と少し外で遊んだ後は、夜7時から9時までの2時間、地元の公民体育館で父と姉と共にフェンシングの練習に勤しんだ。テレビを見る時間はなく、学校の友人との話についていけないことがしばしばあったが、それ以上にフェンシングの練習が楽しかった。
毎日の練習の成果が出はじめ、小学5年次には、フェンシング全国大会で全国3位を獲得した。そして同年には、ハンガリーで開催された国際試合の小学生部門に出場することになった。
結果はーー。
小学5年生にして世界の舞台で見事銅メダルを獲得。
「嬉しかった」
初めての海外で、初めての国際試合、そして銅メダル獲得。週7回、毎日練習をしてきた努力が実った。
人生で最も辛かった中学時代
中学生になると、部活動に必ず所属しなければいけないというルールの元、学校の陸上部とフェンシングの2つをこなす日々となった。授業終了後から夕方6時半まで陸上をこなし、その後7時から9時までフェンシングと、忙しい毎日だった。
「中学時代が一番辛かった。」
当時、陸上部を辞めたいと何度も思ったことがあったが、陸上部で走ることを通して体力がついたことは間違いない。陸上部との両立は大変だったが、3年間の陸上で培った体力が今でも生きていると感じる。
直談判でフェンシング強豪高校の練習へ
中学卒業後は、宮城県のスポーツ強豪校でもある常盤木学園高等学校に進学したが、当時フェンシング部がなく、学校側に事情を説明してフェンシング部を新設してもらった。
しかし、実質的には外部での練習が余儀なくされた。最初は、父の出身校である同県のフェンシング強豪校の練習に通ったが、公立高校だったため練習時間が短く思うような練習ができなかった。
そんな時に、2012年ロンドン五輪で銀メダルを獲得した時の代表メンバーである淡路卓選手が仙台城南高校のフェンシング部の指導者になるという話を聞きつけ、すぐに自分から連絡を取り見学に向かった。
私立高校ということもあり練習も思う存分できる環境。そして、なによりも淡路さんの指導法の元フェンシングをしたいという思いが強くなった。
「城南高校でフェンシングの練習がしたい」
練習見学後すぐにそう決断し、高校3年間、フェンシングの強豪校城南高校で練習をさせてもらうことになった。
男子と同じメニューをこなし全国制覇へ
「友人と遊ぶより、フェンシングがしたい」と、淡路指導員の元でフェンシングの楽しさにますますはまり、これまで以上に練習に負荷を与えるようになった。
城南高校のフェンシング部では女子一人。練習に負荷を与えるため、「男子と同じメニューをやらせてほしい」と自ら申し出たこともあった。
しかし、高校1年次に出場したJOCジュニアオリンピックでは惨敗。自分を追い込んできたつもりだったが、周りの強さに全く歯が立たなかった。高校2年次の同大会ではベスト8まで順位を上げたが、優勝までは程遠かった。
「まだまだ足りない。」と、走る量やトレーニングの強度を上げたり、これまで行ってこなかった体幹を鍛える筋トレを行なったりした。とにかく“勝つこと”を意識して、3年間追い込み続けた。
「もはや友達と遊びたいと思うことすらなかった。」
そして、最後の最後、高校3年次のジュニアオリンピックで見事全国優勝を勝ち取った。
自分が強くなっている実感があったからこそ、3年間辛いと思うことはなかった。
オリンピックという大きな目標に向けて
現在は早稲田大学の学生として、勉学とフェンシングの練習の両立を図っている。
今後の目標はーー。
「2024年のパリオリンピックで金メダルを取ること。」
ジュニアオリンピックで優勝をしたくらいではオリンピックの日本代表には届かない。シニア層が強く、現状はまだまだ実力が追いついていない自覚があるため、2020年の東京オリンピックではなく、2024年のパリオリンピックを目標としている。
現在徐々にシニアの大会にも出場し始め、2024年のパリオリンピックに向けてスタートを切ったところだ。
まとめ
「あわよくば、2024年のパリオリンピックでは姉の愛巳選手と共に団体を組みたい」と夢をみるお姉さん思いの狩野選手。5年後を見据え、目標に向かってまっしぐらに突き進む狩野選手の活躍から今後も目が離せない。
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