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フィールドホッケーのドイツブンデスリーガでプレーする「飯高悠貴」選手にインタビュー!

フィールドホッケーのドイツブンデスリーガでプレーする「飯高悠貴」選手にインタビュー!

今回はセパタクロー強化指定選手の玉置大嗣が、ドイツブンデスリーガでプレーする「飯高悠貴」選手にインタビューしていきます!

自己紹介と競技の説明

ーーまずは自己紹介と競技の説明からお願いいたします!

飯高選手:フィールドホッケー選手の飯高悠貴です!

フィールドホッケーとは、サッカーと同じように11対11でゴールの数を競い合う競技です。

サッカーとの違いは、

・ボールが小さいこと(野球の硬球をもっと硬く、重くしたもの)

・スティックを使用すること。

・オフサイドが無いこと

・交代が無制限であること。

・15分×4のクオーター制であること

などがあります。

スティックを使うのでボールスピードが非常に速いこと、交代無制限なので運動量が極めて高いことからスピーディーで白熱した試合ができることが特徴です!

オリンピック競技なので、そこも魅力の1つです。

(Yuki IITAKA Best plays 18/19 and 19/21 season)

フィールドホッケーを始めたきっかけと経歴

ーーフィールドホッケーを始めたきっかけを教えて下さい!

飯高選手:高校生の時、中学からの継続で野球部に所属したのですが、肘のケガなどで入部から1か月で退部しました。

退部したその日に中学時代の先輩にたまたま出会い、ホッケー部に勧誘され、最初は付き合いで体験しましたが、やってみると面白く、そのまま入部しました。(笑)

高校時代は特に成績を残したわけではないのですが、大学に進学してからもホッケーは続け、最高成績はインカレではベスト4、全日本選手権では5位になることができました。

チームメイトの殆どが、高校からのエスカレーターで続ける選手で、さらに高校は別のところでしたが、全中で優勝経験のある先輩がいたりして、このような結果を残すことができました。

 

――それから今のようにホッケーにハマっていったのですね!

飯高選手:いえ、実は卒業後は商社に就職して選手としては続けていなかったんです。

ホッケーではメインは母校のコーチをしていて、選手としては年にほんの数回、関東のリーグに出場するくらいでした。

練習は好きで、コツコツ積み上げたりするのが得意なので、仕事の関係で練習の量をこなせないなら選手として続けるのは性格的に無理だなと思い、中途半端には続けなかったんです。

それからはインドに転勤して2年間勤務したりもしたのですが、世界ランキング4位(2021年1月時点)のホッケー大国のインドでも数回しかホッケーはやらずでした。


(高校時代)

ターニングポイント

ーーこれまででフィールドホッケーにおけるターニングポイントはありましたか?

飯高選手:インドから帰ってきてからは関西勤務になったのですが、その時、友人と四国に旅行に行き、全てが完璧な最高の週末を過ごしました。

しかし帰路で淡路島のSAで玉ねぎを買った後、突然車内で虚無感に襲われました。

「これが最高の週末?これ以上の満足感、幸福感をこの先の人生で俺は味わうことができないのか?」

「確かに最高だった。どこからどう見ても最高の週末。でもこの週末には、ホッケーの熱さ、興奮、悔しさを超える感動は無い」

「俺はこのレベルの感動の為だけに、生きることは出来ない!!」

そして、またホッケー選手として活動することを決意しました。

(大学時代)

ーー四国旅行が分岐点だったんですね!しかし卒業してからのブランクがありますよね?

飯高選手:そうですね、就職してから約4年半で80㎏(172㎝)まで体重も増えましたし、それまで選手としてはほとんどプレーしていませんでした。

まずはダイエットから始め、その間に練習できるチームを探したり資金繰りなど計画を立てていました。

ホッケー選手としてはヨーロッパでやることは決めていたので、日本人で唯一EHL(Euro Hockey League)という欧州クラブチャンピオンを決めるリーグの出場経験がある飛田尚彦さんに連絡を取り、トレーニングやクラブチーム探しなどをお願いすることにしました。

その時に箕島ホッケークラブや天理大学といったチームを紹介してもらい、高いレベルでホッケー出来ることになり、国内で練習を重ねていた中、念願のドイツBundesliga1部のHarvestehuder THCでプレーさせてもらうことが決まりました。

そして2018年7月に退職し、8月にはドイツのハンブルクに渡航しました。

 

――ホッケー選手になると決めてからヨーロッパ行きが決まるまで早いですね!

飯高選手:ドイツに行くことが決まったのは早かったですが、ドイツでの現実は甘くありませんでした。

やってやれない世界ではないと感じたのですが、1試合にも出れずにシーズンの3ヶ月が終わりました。

技術面、運動量、言葉の壁など、1部リーグに所属はしたものの、足りていない部分がわかったので、その後は一度帰国し、あらゆる角度から自分自身を見つめ直しました。

翌年2019年の4月にはHarvestehuder THCのヘッドコーチからドイツBundesliga2部のTHK Rissenというチームを紹介して頂き、そのシーズンは9試合で3得点1アシストという結果を残すことができ、現在もそこでプレーしております。


(inドイツ①)

今後の目標

ーー今後の目標はなんですか?

飯高選手:選手としては今シーズンの残り9試合で9得点取ることと、来シーズンでまた1部でプレーしたいと考えています。

ただ、来シーズンもドイツで活動するためには、ビザの獲得が先決です。

今はコロナでホッケーの試合なども休止しているため、自営業ビザの獲得に力を入れております。

実際に、月額500円でのオンライン交流会を主催して日本の方々と交流したりしていて、そこではドイツでの活動や、ドイツの全世代型クラブチームの「フェライン」について話をしております。

 

――フェライン聞いたことが無い単語ですね

飯高選手:話せばかなり長くなってしまうので、日本の部活動と比較した形でまとめたブログもございますので、詳しくはそちらを参照していただければと思います。

フェラインについて詳しくまとめている飯高選手のブログはこちら

仲間募集の理由2:どうして壁にぶつかったのか

長期的な目標としてはドイツで学んだこのフェラインを日本にも設立したいと考えています。

当然、ドイツと日本では社会構造の違いがあるので、ドイツのフェラインをそのまま日本に持ち込むことはできません。

しかし、「全世代型」「選手と指導者の高い流動性」「グラウンドへのアクセスのしやすさ」といったフェラインの特徴は日本でも実現することは可能だと考えています。現在Sports X Leaders Programに参加し、仲間と共にフェラインの日本での実現に向けた具体的な検討を行っています。

詳細はブログにもまとめていますが、それらをしっかりと分析し、一つ一つ乗り越えていきたいと思います。


(inドイツ②)

ライターが感じる飯高悠貴選手の魅力

これまで多くの海外挑戦の選手を見てきましたが、選手としての熱量は言うまでもなく、さらには現地での文化を学び、日本にも伝えたいという想いをしっかりとブログに書いたり、日本の方々とのオンライン交流会を通じて伝えていたり、現地で自営業ビザの獲得のために奔走したりと、かなりエネルギッシュです。

しかしその活動の中には、しっかりと自分が海外でプレーし生活するための手段と目的を明確にしている冷静さ知的さを感じました。

ブログも読ませていただきましたが、「なんのために生きるのか」という人生のテーマに対し、自己分析ができており、だからこんなにも芯がしっかりしているんだなと納得しました。

自営業ビザの獲得にヨーロッパでの活動、そして日本でのフェラインの設立など、今後の飯高選手の活躍に注目です!

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飯高選手HP

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