こんにちは!現在オーストラリア・メルボルンで競技チアリーディングの選手として活動する笠原園花です。
今回は、「応援してくれた人たちに恩返しを必ずしたい」という熱い思いでキックボクシングに取り組む八木選手にインタビューをしました。不良少年からキックボクシングに真剣に取り組むようになったきっかけや、これからの目標について、八木選手の思いに迫りました。
八木選手の自己紹介
1991年大阪府大阪市生まれ。幼少期からやんちゃで、「スリルがあることをしたい」という欲望が人一倍強かった。小学校にあがると同時にその欲望は日に日に増え、いわゆる学校の「問題児」となってしまった。
荒れた小中学校時代
小学校時代に勉強した記憶はほとんどない。授業に出席すると頭痛がしたため、早退もたくさんした。
そして、中学校にあがると素行がますますひどくなってしまった。暴走行為などの迷惑行為を学校外で繰り返し、少年院に預けられることもあった。
「小さい頃から、目標というものを持ったことがなかった。」
学生時代にこれといったスポーツも行わず友人達と悪さをする日々に「目標」はなく、毎日死にたいと思うばかりだった。
20歳で決断した上京
「高校くらい行っておいた方がいいかな」という安易な考えで、少年院にいたころに高校を受験し入学するも、1週間で退学。その後は建築の仕事をしながら、またいつものように「暴走」する毎日に戻った。
そんな暴走する生活を4年間続けた後、
「このまま地元にいたらダメになる。」
とふと思い、20歳になった頃、東京へ一人移住することを決意した。
上京後に出会った空手
上京後も建築関係の仕事をしながら「遊ぶ日々」が5年間続いた。あっという間に25歳。自分を変えなければと地元から抜け出した後も結局同じ生活になってしまった。
そんな時に転機が訪れた。
同じ職場の先輩から空手に誘ってもらい、練習場に行ったことがきっかけで人生が大きく変わった。1回目の練習の時に「空手のセンスがある」と先輩から言われ、練習にかかる費用は払わなくていいから一緒に練習してほしいという先輩からの猛烈な誘いに応じ続けた。
今までフラフラと遊んでいた生活とはまるで180度違う楽しさを味わった。
そして3ヶ月後、気づけば空手の試合に出場するまでになっていた。
人生初めての「悔しさ」
人生初めての空手の試合の結果は、負け。
「悔しい」
遊んでばかりの25年間で「悔しい」という感情を持ったことがなく、初めて味わう感情だった。
しかし、この「負け」が良いモチベーションとなり、それ以来人が変わったように死に物狂いで練習するようになった。
空手の練習は週6回。夜勤が朝方終わり、一度帰宅して昼の仕事、17時頃昼の仕事を終え、19時頃から2〜3時間の空手の練習、そしてまた夜勤というスケジュールをこなした。
寝る暇がないこの生活を2ヶ月も続けた。全ては勝つためにーー。
人生初めての「勝利」
自分の中ではやり残すことなくやりきったと思えるほど練習をして挑んだ次の試合では、一回戦で見事一本勝ち。試合中に足の甲を骨折しながらも、「絶対に負けられない」という意志でなんとか持ちこたえた。
骨折の影響もあり2回戦で敗退したが、「まだまだ実力が足りなかったが、次に生かせるような反省点がたくさん見つかった」とポジティブに捉えた。
キックボクシングへの転向
実は昔から憧れがあったのが、キックボクシング。命をかけて戦っているあの感じに魅力を感じたためだ。
しかし空手を中途半端にしたままキックボクシングへ転向することはできないと考え、最後となった空手の試合「東都空手道選手権大会中級クラス」でしっかりと優勝を収めた後、競技を転向した。
そして、「どうせやるなら一番キツそうなジムでやる」と自宅付近にあったムエタイの強豪ジムに通うことになった。
思惑通り、練習は空手の比にならないほど大変だった。30分間の縄跳びや膝当て連打300回、腹筋300回……少しジャンプしただけでも頭痛がし、倒れてしまうほど追い込まれた。
しかし「このまま辞めたらかっこ悪い」と、どれだけ体が辛くても気持ちで折れることはなかった。
もっと追い込む決意
所属ジムにはチャンピオン級の選手がたくさんいるため、練習を共にすることがあるが、彼らにはまだまだ実力が及ばないのを身をもって実感している。
「年齢の問題もあるし、いつまでキックボクシングができるかわからないという危機感がある。」
だからこそ、今ある力は全て振り絞って自分を追い込みたい。
最近は、休みの日も「ジムに行かなければ」という衝動にかられる。オフの日も自分を追い込み、納得のいくまで練習をしたい。
今後の目標
将来的には、K1出場という夢もある。しかし、今は目の前の一戦一戦を大事に戦って活躍する事で、これまでお世話になった方々に恩返しすることが一番の目標だ。
大阪で遊んでばかりだった自分を変えてくれた空手。そして空手の道場では、小さな子供達がなついてくれたり、その親御さん達が今でも応援してくれていたりと、周りの人々に助けられてここまでこれた。
そんな周囲の人々にありがとうの気持ちを込めてキックボクサーとして活躍することに何よりも重きを置いている。
まとめ
「人間としてダメダメだった」幼少時代から、「もっと自分を追い込む、まだまだ足りない」と強い意志と揺るぎない目標を持つようになった八木選手。インタビュー中では「試合に勝っても嬉しくない。反省点ばかりです。」と自分に厳しく競技を行う様子が伝わってきた。人生をかけて競技を行う八木選手の活躍が今後楽しみである。
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