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岡山県倉敷市の期待の新星!フィギュアスケート全日本選手権出場を目指す津内胡菜(つうちこうな)選手の素顔とは

こんにちは!オーストラリア・メルボルンで競技チアリーディング選手として活動をしている笠原園花です。

今回は、浅田真央選手や安藤美姫選手、荒川静香選手の活躍により数年前から大ブームとなっているフィギュアスケートの選手として活躍する津内選手にインタビューをしました。華やかな演技の裏に隠れる津内選手の強さに迫りました。

津内選手の自己紹介

1998年岡山県倉敷市生まれ。岡山県倉敷市といえば男子フィギュアスケート界のヒーロー、高橋大輔選手の出身地でもある。かつて高橋大輔選手が所属していた倉敷フィギュアスケートクラブ(倉敷FSC)が有名だ。3歳からクラシックバレエを始め、フィギュアスケートは7歳ではじめた。フィギュアスケーターとしては競技開始時期が遅かったが、その後津内選手の快進撃が始まる。

フィギュアスケートとの出会い

 

2006年。荒川静香選手がトリノ冬季オリンピックで日本人選手として初の金メダルを獲得したとあって、日本中がフィギュアスケートフィーバーだった年だ。「スケート場と家が近かった」という理由でまずは体験会に参加した。

最初は滑るどころか、立つことすらできなかった。それでも、クラシックバレエとはまた違った動きや技に楽しさを覚え、フィギュアスケート教室に通う決断を自らした。当時フィギュアスケートの大ブームとあって、同時期に教室に通い始めた同期はなんと50人。しかし慣れない練習に脱落していき、気づけば同期は半分以上に減っていた。

あまり先のことは考えずに、とにかく目の前の目標や試合に向かってコツコツと練習するタイプ。氷上で立てなかったのが立てるようになったり、歩けなかったのが歩けるようになったり、スピンができるようになったり……小さな進歩にやりがいを感じられたからこそ、競技をここまで続けてこれたのかもしれない。

フィギュアスケートへ本腰が入った瞬間

「なすがままにここまできてしまった。」とにかく目の前の試合に集中し日々の練習をこなすタイプだったため、ある瞬間にスイッチが急に入ったというわけではない。しかし一つだけ心に残る試合がある。それが、フィギュアスケートを始めて2年経った9歳の頃に出場した地区大会だ。

フィギュアスケートには、レベルが初級から7級まであり、 そのレベルの試合に出場するには、階級試験に合格しなければならない。トップ選手たちのほとんどは7級を取得している。

月に1回開催される昇級テストを「コツコツ」とこなし、競技を始めて2年で5級まで達した。その5級の地区大会に出場した際、見事銀メダルを獲得することができたのだ。初めてのメダルーー。メダルを獲得したということ自体がとても嬉しく、この試合をきっかけに一気にモチベーションが高まった。

歯車が狂い始めた中学時代

9歳で初のメダルを獲得し、順調な競技生活を送っていたが、中学生になると徐々に成績が落ち始めた。

中学1年生までが参加可能な全国ノービス選手権に、中学生1年次に初出場した時である。順調にいけば海外試合にも出場できるほどの大チャンスであった。実は、この試合の予選大会である中四国九州ブロック予選では、見事優勝を収めていたため、周りからの期待も高まっていた。

しかし、歯車が合わなかった。「試合で何もできなかった。出せた力は20%。」全国ノービス選手権といえば、安藤美姫や浅田真央もかつて出場していた大きな舞台だ。そのような大舞台を前にして、緊張を解くことができなかった。得意だったトリプルサルコー(三回転ジャンプ)も本番で着地できず、ボロボロの演技を見せることになってしまった。

「ブロック予選で優勝してしまったことで、自分を過信してしまった。」と反省するも、それ以降、練習で何を変えればいいのか、どういう練習をすればいいのか、自分の軸が定まらなくなり、成績は低迷するばかりだった。

それでも、立ち止まる暇はなかった。シーズン中は試合がひっきりなしに続くため、辞めることを考える時間すらなかった。そして、なによりも「もし自分がやめたら、大会出場枠を他のライバルに譲ることになってしまう」ことを考えると、競技を諦めるわけにはいかなかった。

環境を変えるために地元岡山へ

実は、中学時代はより良い環境で競技ができるようにと大阪にあるクラブチームに所属していた。週末になると岡山から大阪に移動、シーズン中は大阪に滞在していたため中学の授業に参加できないこともあった。

高校1年次までは岡山と大阪を往復する生活を続けていたが、成績が低迷していたこともあり、「環境を変えたい」という思いから地元岡山県の強豪クラブチーム、倉敷FSCに所属を変えた。

すると、低迷していた成績がぐんぐんと伸びていくのを感じた。練習は週6回、多い時には5時間行う。大阪にいた頃よりも練習はハードになったが、同じクラブチームに所属する強豪選手たちと共に練習することで刺激になった。なによりも、先生のみっちりな指導のおかげで今自分が何を練習をすべきかが明確になった。

インターハイ 団体6位入賞、冬季国体 岡山県代表、中四国九州ブロック 準優勝、山陽新聞社杯 準優勝……と輝かしい結果がついてきたあとは、さらにモチベーションが高まり、練習にも身が入るようになった。

おっとりしていると言われるけど、本当は負けず嫌い。昔はできない技があると感情をむき出しにしてしまうこともあった。しかし、フィギュアスケーターである以上、技を失敗しても感情を出さないようにしている。コーチにも怒られるし(笑)」

日本フィギュアスケート界の大舞台に向けて

今後の目標は、毎年12月に開催される全日本選手権に出場すること。出場するには、9月から各地で始まる地区予選、そしてその地区予選の上位選手が進める東日本大会、あるいは西日本大会にてさらに上位成績を収めなければいけない。

決して容易な道ではないが、出場権獲得に気をとらわれ過ぎずに、まずは目の前の試合を「コツコツ」とこなしていきたい。

まとめ

おっとりした話し振りとは裏腹に「私、本当は負けず嫌いなんです。」と話す津内選手。その内に秘めた負けず嫌いの根性が津内選手をきっと日本選手権へと導くことだろう。もしかしたら今年はテレビ越しに津内選手を見ることができるかもしれない。

津内選手を応援したい方はこちら!

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